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旧下妻街道4_小山ー原口

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 ◆旧下妻街道_小山-原口 2026年5月27日(水)曇り時々晴れ (1)分岐点【13:52】  旧街道はここから再スタート。 (2)十二天満宮【13:52】 (3)道標【13:54】 (4)地蔵院【13:55】 (5)庚申塔&馬頭観音【14:05】 街道風景 街道風景 (6)平将門公之像(岩井図書館前)【14:55】 平将門(たいらの まさかど)は、平安時代中期の関東の豪族。関東一円を制圧し、朝廷の支配体制に不満を持つ地方の武士たちをまとめ上げて、自ら「新皇」と名乗って朝廷に反旗を翻した。しかし、940年に平貞盛・藤原秀郷の連合軍に討たれた。(平将門の乱)。 仁義に厚く温かい人物であったとされており、夢を求める将門を表現して造られたのが「平将門公之像」。土浦出身の彫刻家一色邦彦氏の作で、図書館を含む複合文化施設の完成記念事業のひとつとして、平成6年3月に完成した。 (7)仏塔?【15:16】 (8)八坂神社鳥居【15:21】 (9)猿田彦大神碑【15:24】 (10)仲町十字路【15:24】 特徴的な形状で、後日調べたが、なぜこういう形状なのかよく分からない。 (11)荒木米店【15:29】 HPによると、創業は慶応2年(1866年)とのこと。 (12)原口バス停【16:30】 本日の街道歩きはここで一旦終了。ここから先は「5.原口-水海道」にて記載。 このバス停の前はショッピングモールだった。 以上

旧下妻街道5_原口ー水海道

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◆旧下妻街道_原口(茨城県坂東市辺田)-水海道 2026年4月17日(金)曇り時々晴れ (1)原口バス停【12:58】 (2)香取神社鳥居【11:21】 (3)茶顛中山翁(ちゃてん なかやまおう)製茶紀功碑【11:17】 中山元成(なかやまもとなり)は、評判のよくなかった猿島茶「さしま茶」の味を向上させるために、京都宇治の製茶師を招き、茶園製茶法の改良に取り組み、お茶作りを復活させ、天保の大飢饉で困窮する農民を救った。さらに、1859(安政6)年の日米修好通商条約発効と同時に、全国の茶名産地に先駆けて下総国の名産「猿島茶」のアメリカ輸出を成功させた。 茶顛(ちゃてん)とは「お茶狂い」という意味で、自分から名乗っていた。 (4)道標【11:03】 (5)分岐点【10:32】 (6)分岐点【10:30】 (7)加波山大神【10:28】 加波山(かばさん)は、茨城県桜川市と同石岡市との境に位置する標高709mの山。 明治17年(1884)9月におこった「加波山事件」は,自由民権運動が過激化するなかで,明治政府の転覆をはかって武装蜂起した最初の事件。 (8)神大実(かみおおみ)郵便局【10:21】 この建物の外観は、(40)水海道駅を連想させる。 (9)忠魂碑【10:18】 (10)香取星神社【10:14】 (11)分岐点【10:07】 (12)二十一番大師【10:04】 (13)道標【10:02】 (14)?(「**「大神」というのしか読み取れない)【9:57】 (15)分岐点【9:53】 街道風景 (16)分岐点【9:50】 (17)分岐点【9:49】 (18)西光寺【9:46】 (19)二十三夜塔【9:43】 (20)大口の祠【9:41】 街道風景 街道風景 (21)きぬ総合公園【9:25】 街道風景 (22)分岐点【9:13】 (23)長屋門【9:09】 (24)豊岡の石塔【9:07】 街道風景 (25)分岐点【9:05】 街道風景 (26)分岐点【8:43】 (27)分岐点【8:40】 (28)分岐点【8:38】 (29)小祠【8:33】 (30)豊水橋【8:28】 (31)水海道游泳会発祥之地碑【8:26】 (32)五木宗レンガ蔵【8:25】 物資輸送の中継基地として発展した水海道河岸は、幕末から明治にかけて隆盛を誇り、有力な問屋が軒を連ねた。五木田家は会津藩の...