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旧中山道29_三留野宿ー馬籠宿(2)

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◆旧中山道_南木曽(三留野宿)-馬籠宿 「その2」 2024年4月19日(金)晴れ 三留野宿から妻籠宿を経由して馬籠宿までの間を歩いた。 2回に分けて記録した「その2」。大妻籠宿入口から馬籠宿端まで。 (48)大妻籠入口表示板【10:36】 街道風景 (49)道標【10:40】 (50)藤原家住宅【10:40】 街道風景 (51)庚申塚&道標【10:45】 (52)道標&分岐点【10:47】 (53)牛頭観音【10:51】 街道風景 (54)道標【10:59】 (55)倉科祖霊社【11:05】 (56)道標【11:07】 (57)道標【11:09】 (58)男滝・女滝【11:11】 街道風景 (59)分岐点&道標【11:21】 (60)分岐点&道標【11:23】 (61)道標&説明板【11:35】 (62)神居木(かもいぎ)【11:38】 記載事項が読めないので、ネット上にあった画像を以下に示す。 (63)一石栃(いちこくとち)白木改番所跡【11:46】 (64) 一石栃立場茶屋跡【11:53】 (65)石仏石塔群【11:57】 (66)道標【11:57】 街道風景 (67)道標【12:11】 前項の向かい側の道標 (68)県境表示【12:12】 (69)道標&分岐点【12:16】 (70)熊野神社【12:18】 (71)馬籠宿案内図【12:19】 街道風景 (72)峠之御頭領徳碑【12:23】 峠之御頭というのは牛で荷を運ぶ牛方衆の組頭である今井仁兵衛氏のこと。1856(安政3)年、中津川の問屋賃金の上前はねを巡って論争がおき、牛方衆は運搬拒否のストライキを15日間行い、牛方衆が勝利するが、この時の牛行司(御頭)が今井仁兵衛。領徳碑は偉業を顕彰するもの。 (73)道標【12:26】 (74)十辺舎一九歌碑 (75)道標【12:28】 (76)道標【12:30】 (77)道標【12:50】 (78)双体道祖神【12:52】 (79)梨子ノ木坂【12:53】 ネット情報によると、ナシはナラ(均)すの転で、比較的緩やかな場所を示すことが多く、木(キ)は場所を示す接尾語とのこと。ということで、ここは坂道の途中の比較的平らな休憩地点ということらしい。 (80)道標【12:53】 (81)道標【12:59】 (82)道標【13:00】 (83)中山道標石【13:00】 分かり