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旧水戸街道7_荒川沖ー土浦

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◆旧水戸街道_荒川沖-土浦 2024年9月12日(木)曇り時々晴れ 旧水戸街道の荒川沖宿から土浦宿まで歩いた。 (1)ひたち野うしく駅【9:11】 相撲部屋があるのは都内墨田区の両国近辺だけだと思っていたので、茨城県にあるのは驚きだった。後日調べたら、相撲部屋の数は全部で44部屋あり、茨城県以外にも埼玉県や千葉県にもいくつかあるようだ。 (2)駅西入口交差点【9:17】 ここから旧水戸街道となる。 (3)一里塚【9:28】 道の両側に一里塚があるが、それぞれ名称が異なる。東側が「中根一里塚」で、西側が「荒川沖の一里塚」。 それぞれの説明板を読むと、「中根一里塚」が牛久市、「荒川沖一里塚」が土浦市となっているので、ちょうど市境にあるために名前が異なっているようだ。 荒川沖の一里塚の脇にはこんな碑もあった。 街道風景 (4)分岐点【9:43】 (5)八幡神社【9:44】 (6)小祠【9:44】 道路からは祠の中が見えない。屋敷神? 街道筋の立派な日本家屋。 (7)荒川沖天満宮【9:53】 (8)旅籠佐野屋【9:55】 このあたりが「荒川沖宿」だが、人馬の継ぎ立て(運ばれる荷物の人足と馬の交代)だけの宿場で、本陣はなく、継ぎ立て業務にあたる問屋と、役人宿1軒、旅籠数軒の小さな宿場だったとのこと。その旅籠のうちの一軒。 近くにもう一軒茅葺の家があった。鶴巻たばこ店とのこと。 なお、「荒川沖」という地名だが、ここは阿見町荒川本郷から分かれた集落で、荒川本郷から遠くに見えるところから“荒川の沖” (沖:遠いところの意味)と呼ばれたそうだ。 (9)日先(ひのさき)神社道標【9:57】 「日先大神道」と読める。日先神社は土浦市右籾に鎮座している神社。 (10)分岐点【10:03】 (11)分岐点【10:33】 (12)日先(ひのさき)大神道、地蔵尊【10:36】 後日調べたら、石標には「従是東境内迄十二丁(これより東に境内まで十二丁)日先大神道 明治五年 壬申五月日」とあり、地蔵尊には「右ハ いちのや江 寛政五子天 露夢童女 六月十七日 左ハ 里うがさき江(りゅうがさき)」とあるそうだ。 (13)分岐点【10:53】 街道風景。道の両端はかなりの雑草が生い茂っている。 (14)石仏、石塔群【10:56】 街道風景 (15)大聖寺【11:10】 街道風景 (16)架道橋【11:13】