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4月, 2023の投稿を表示しています

旧甲州街道17_白州(教来石宿)-蔦木

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◆旧甲州街道 _ 白州(教来石宿)-蔦木 2023年4月20日(木)晴れ 前日に続いて、旧甲州街道の白州と蔦木の間を歩いた。 (1) 県営白州団地入口バス停【9:21】 街道風景 (2) 石尊大権現常夜灯【9:31】 この常夜灯は (4) に鳥居のある石尊神社の南参道口のもの。 (3) 般若堂【9:31】 (4) 石尊神社鳥居&仏像【9:34】 石尊神社はここから約2キロ東の山中にある。この鳥居が参道中央口とのこと。 (5) サントリー白州蒸留所【9:35】 予約すれば工場見学ができるようだが、今年の秋までは休止中とのこと。 街道風景 (6) 石尊大権現常夜灯【9:40】 この常夜灯は (4) に鳥居のある石尊神社の北参道口のもの。 松山沢川橋からの眺め 街道風景 (7) 道祖神?【9:42】 (8) 明治天皇御小休所址碑 【9:52】 (9) 下教来石(しもきょうらいし)諏訪神社【9:59】 (10) 明治天皇御田植御通覧之址碑 【10:02】 (11) 庚申塔【10:04】 (12) 題目碑【10:04】 (13) 御膳水跡碑【10:12】 街道風景 (14) 教慶寺【10:19】 雰囲気がいいところだったが、全般にかなり荒れ果てていた。 (15) 地蔵仏、仏像群【10:21】 (16) 分岐点【10:22】 (17) 供養塔【10:28】 後日確認したら、「順禮四國八拾八箇所供養塔」とのこと。 街道風景 (18) 山口関所跡【10:34】 街道風景 (19) 仏像【10:50】 かなり傷んでいて詳細不明。 街道風景 (20) 国界橋【10:52】 橋は残念ながら向こう岸で通行禁止となっていた。(出来ればもっと手前に通行禁止の掲示が欲しかった。)しかたがないので国道20号線まで道を戻り、新国界橋を歩いた。 (21) 長野県県境標識【11:00】 (22) 下蔦木(しもつたき)交差点【11:04】 今回は予定通りここまで。 その後、「道の駅信州蔦木宿」で昼食を取ってから帰宅した。 (23) 道の駅信州蔦木宿【11:12】 <全体のメインメニューは下記をクリック> < https://sites.google.com/view/slowly-walker >   以上  

旧甲州街道16_穴山-白州(教来石宿)

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◆旧甲州街道_穴山-台ケ原宿-白州(教来石宿) 2023年4月19日(水)晴れ 前日に続いて、旧甲州街道の穴山と白州の間を歩いた。 (1)穴山橋バス停【9:05】 (2)分岐点【9:06】 街道風景 (3)お城さん(おじょうさん)稲荷【9:13】 街道風景 蔵風の民家 (4)徳島翁おはかみち道標【9:17】 徳島翁とは「徳島堰」を作った徳島兵左衛門のこと。「徳島堰」は340年前に徳島兵左衛門の私財により工事が始められた水路で、その後美田の開発が進み、地域農民の生活は飛躍的な発展をとげたそうだ。 (5)妙浄寺(みょうじょうじ)【9:17】 街道風景 (6)内藤家住宅【9:23】 明治13年に明治天皇が行幸の際に休息されたとのことで、庭内にその碑があるらしい。 (7)常夜灯【9:26】 (8)鹿嶋大神【9:33】 児童公園の奥にあった。脇にはいくつかの石像もあった。 (9)南無阿弥陀佛名号碑【9:36】 小武川橋からの風景 (10)北杜市の標識【9:39】 小武川 (11)常夜灯【9:43】 民家の玄関先 (12)馬頭観音、他仏像【9:48】 (13)一里塚跡【9:50】 (14)庚申塔【10:00】 (15)題目碑【10:02】 街道風景 屋根の棟飾りがちょっと目を引いた。 (16)萬霊塔(ばんれいとう)【10:10】 天保元年(1830)から何年もの間全国的に飢饉が続き、各地で多くの死人が出て埋葬する場所もなかった。その後、この悲惨な死者の霊を慰めるため、各地にこうした供養塔が建てられたそうだ。 (17)八幡神社【10:11】 (18)治水與郷碑【10:24】 (19)分岐点【10:32】 街道風景 (20)分岐点【10:41】 (21)庚申塔他【10:42】 街道風景 (22)石仏石塔群【10:53】 街道風景 (23)神明神社【11:07】 ここは廃寺跡とのことで、ヤシロが屋敷神のような小ささで驚いた。 釜無川の川原に公園が整備されていたので、そこで少し休憩した。 (24)一里塚跡【11:16】 (25)古道入口はらぢみち碑【11:21】 街道(古道)風景 次の写真の通り、しばらくは一人分の道幅しかない草道。 (26)横山の道標(馬頭観世音)【11:23】 (27)無銘の巨塔入口【11:24】 明治時代、日蓮聖人の六百遠忌に向けて、題目「南無妙法蓮華経」を刻んだ