旧日光街道1_日本橋ー千住宿
◆旧日光街道 日本橋-千住宿 2023年12月14日(木)晴れ 旧日光街道(日光道中)最初の区間を歩いた。 (1) 日本橋【9:51】 (2) 分岐点【9:55】 「室町三丁目南」交差点。正面角の浮世絵を掲げた建物は「秀山堂画廊」で、浮世絵ではなく、近代絵画・工芸を主に扱っている画廊とのこと。 (3) 本町薬問屋発祥の地【9:56】 武田薬品工業本社ビルの前にあった。 家康は、日本橋周辺を町の中心部と定め、商工業者には「業種別」に集まって住むように指示し、薬種商は「日本橋本町三丁目」付近に住むことになったとのこと。 (4) 地下歩道入口【9:59】 道の反対側に進むのにここを通る。 (5) 小津和紙【10:01】 承応二年( 1653 年)(四代将軍=家綱の時代)に、伊勢出身の小津清左衛門長弘により創業された和紙専門店。 (6) 於竹大日如来(おたけ だいにち にょらい)井戸跡【10:02】 (7) 寶田恵比寿神社【10:03】 徳川家康江戸入府以前は寶(宝)田村の鎮守社だった。江戸城拡張により村の移転を命ぜられ、現大伝馬町へ遷座。祭壇の中央に安置される恵比寿神像は、慶長 11 年三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受け、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。 (8) 江戸屋【10:05】 初代の利兵衛氏は、七代将軍=家継の時代に将軍家お抱えの「刷毛(はけ)師」に任ぜられ、享保三年( 1718 年)(八代将軍=吉宗の時代)に将軍家より「江戸屋」の屋号を与えられて江戸刷毛の専門店として開業。 建物は大正 13 年 (1924)に 竣工されたもので国登録有形文化財。ちなみに、正面上部にある特徴的な6本の細長い飾柱は、刷毛をイメージしたもの。 (9) 浅草橋横断地下道【10:20】 (10) 郡代屋敷跡【10:23】 (11) 浅草見附跡【10:26】 (12) 須賀神社【10:34】 (13) メタセコイアの大木【10:36】 和名アケボノスギ。ビル所有者が個人的にビル前に植樹したもの。台東区の景観重要樹木&保護樹木に指定されている。 (14) 天文台跡【10:39】 ここに書かれていることの要旨は以下。 「この地点から西側、通りを一本隔てた区画には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳