旧浦賀道1_保土ヶ谷-上大岡

 ◆旧浦賀道_保土ヶ谷-上大岡

2020年9月9日(水)晴れ

享保五年(1720年)、江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀へ奉行所が移されると、江戸と浦賀間の人や馬の往来のため東西二本の道が作られた。

これが浦賀道(うらがみち)である。

東は旧東海道の保土ヶ谷宿から、西は戸塚宿から浦賀に至っている。

なお、保土ヶ谷宿から金沢八景までは金沢道(かねさわみち)とも呼ばれている。

ちなみに、金沢八景は風光明媚な入り江が続く景勝地として江戸時代から知られていたそうで、この道を通って多くの人が訪れていたそうだ。

  

本日は、最初の区間である保土ヶ谷宿から上大岡までを歩いた。

(1)金沢横丁道標【9:09】

保土ヶ谷駅東口バスターミナルから約400m歩いて道標に到着。

ここが旧東海道からの分岐点。ここからスタート。


(2)道標【9:09】


(3)いわな坂の道標【9:10】

名の由来は不明で、漢字で書くと「石難坂」、「石名坂」、「磐名坂」など諸説あるという。

(4)御所台(ごしょだい)地蔵尊【9:11】

この場所のすぐ近くに、次項の「御所台の井戸」があるので、そこから地蔵尊もこうした言い方になったようだ。 

御所台(ごしょだい)とは、源頼朝の妻で、頼朝の死後には尼将軍と呼ばれて「執権政治」の基礎をつくり支えた北条政子のことだという。 

しかし、将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称は「御台所」(みだいどころ)であり、北条政子も普通はそう呼ばれていたのに、なぜ、この場所に限ってこういう言い方なのだろう?(単なる誤記<所と台の順番を間違えた?>がそのまま伝わったか?)

街道脇の坂道には庚申塔が据えられおり、石段を上った高台にある地蔵堂の中には地蔵尊が安置され、他にも石仏等が並らんでいた。

この階段は段数は少ないが意外に急坂だった。




(5)御所台(ごしょだい)の井戸【9:13】

説明板には「鎌倉時代、源頼朝の妻政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、」とある。が、ネット上では、下記の説も出されていた。

すなわち、説明板のその下の説明、「保土ヶ谷宿の苅部本陣に将軍が休息した時、御膳水としてこの井戸の水を使用したと伝えられるほどの名水だった」ということから、政子も「咽を潤した」と考えるのが普通ではないか、とのこと。(それだと当たり前すぎるので、誰かが脚色した?)

真偽は確認しようもないが、将軍に献上した名水を、わざわざ化粧に使用したというのは、ちょっと違和感があると思うが。 

とにかく「政子の井戸」と呼ばれるようになるのは、おそらくは観光用に史跡看板が建てられた戦後であろうとのこと。(ネット情報であり未確認。)



(6)街道筋の風景【9:16】

普通の住宅街の中を進む。

(7)北向地蔵尊【9:18】 




(8)ゆずの木【9:30】

街道から少し中に入って小高い丘を登ると、りっぱなエノキが立っている。

これは、人気デュオ・ゆず(横浜市出身)の「からっぽ」という曲のPVに登場したことから、「ゆずの木」の愛称で親しまれているもの。さらに、映画『四月は君の嘘』やドラマなど、多くの作品に登場するロケ地。

さすがに絵になる展望だった。



(9)獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)【9:38】

横浜に日本初の近代水道が創設された明治20年当時、人々は道端に設置された共用栓から水の供給を受けるのが一般的で、イギリス・グレンフィールド社製の獅子頭共用栓が横浜市内各所に設置された。その中の一つ。



(10)井土ヶ谷事件の跡、庚申塔【9:47】




(11)蒔田(まいた)橋【9:51】

蒔田の地名は室町時代からあり、横浜英和学院の敷地には16世紀に吉良氏の居城、蒔田城があったと考えられている、とのこと。

(12)街道風景【9:59】

残念ながら、歴史を感じさせるような建物は残っていない。

(13)若宮八幡宮への道標【10:05】

神社自体は、街道から東に少し行ったところにある。

若宮八幡宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年(1193)に創建し、大岡川村下大岡村の鎮守だったとのこと。

ちなみに、周囲の現在の住所は若宮町。

(14)鎌倉街道道標【10:08】

鎌倉街道(かまくらかいどう)は、各地より鎌倉に至る道路の総称。鎌倉街道あるいは鎌倉道と呼ばれる道は、かなり広範囲に数多くあったとみられている。


(15)街道風景【10:24】

(16)庚申塔【10:30】

犬小屋(?)に入れられた庚申塔は初めて見た。新しそうだが、前に置かれたペットボトルが大きすぎて良く見えない。

(17)源為朝の祠【10:32】



(18)上大岡駅東口【10:35】

今日は予定通りここまでとした。

休憩を含めた歩行時間は、1時間26分だった。


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以上

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