旧京街道3_伏見-山科

◆旧京街道_伏見-山科

2019年7月11日(木)雨

大阪の高麗橋から京都山科追分までの京街道を三日間かけて歩いた。

今日は3日目、最終日で、伏見宿から京都山科追分まで歩いた。

あいにくの雨中のウォーキングとなった。

前日の終了地点の丹波橋駅前交差点を8:14に出発。

(1)橦木町遊郭碑(しゅもくちょうくるわのひ)【8:25】

赤穂浪士を率いる大石内蔵助が、敵方の目をくらますため遊興して密計を練った遊郭とのこと。

(2)墨染寺(ぼくせんじ)【8:29】

墨染桜(すみぞめざくら)で知られる桜の名所。

なお、地名の読み方は「すみぞめ」であり、近くの駅も「すみぞめえき」。

(3)藤森神社【8:38】

菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、また勝運と馬の神様として、競馬関係者や競馬ファンの参拝者が多いとか。


街並み【8:53】

(4)宇多天皇皇后御陵・仁明天皇御陵石碑【8:58】

宇多天皇(うだてんのう)第59代天皇、在位:887年~897

仁明天皇(にんみょうてんのう)第54代天皇、在位:833年~850


(5)大岩神社【9:11】

街道はすぐに府道35号線(大津淀線)と合流する。

すぐ横は名神高速道路【9:32】

(6)勧修寺(かじゅうじ)【9:44】

開基(創立者)は醍醐天皇で、皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院とのこと。「山階門跡」とも称する。

なお、寺名は「かじゅうじ」が正式の呼称だが、山科区内に存在する「勧修寺○○町」という地名の「勧修寺」の読み方は「かんしゅうじ」とのこと。

(7)大宅(おおやけ)一里塚【10:12】


(8)愛宕常夜灯【10:27】

東海地方の旧東海道の常夜灯は、秋葉山信仰(浜松市天竜区の秋葉山にある神社)から生まれたものだったが、今回のこの常夜灯は、京都市右京区の愛宕山にある愛宕神社から発祥した信仰からのものとのこと。

どちらも火伏(ひぶせ)の神(火災を防ぐもの)として信仰されていた。

形状的には今回の常夜灯の方が小振りで作りもシンプル。


<2023年1月19日 追記>
1月18日のNHK「にっぽん百低山」で「愛宕山・京都」が放送された。
それによると、平安時代の延長8年(930年)6月26日(旧暦)に御所の清涼殿に大規模な落雷があり、公卿・官人らの多くの人々が即死したり重傷を負ったりした。難を逃れた醍醐天皇も急遽清涼殿から常寧殿に避難したが、体調を崩し、3ヶ月後に崩御することとなる。これを清涼殿落雷事件(せいりょうでん らくらい じけん)と言う。
この時、最初に愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に落雷が直撃したことから、愛宕山は長らく火の神様として畏れられてきた。
それが、江戸時代以降に「畏れ」の対象から、火事から守る「火伏せ」の神へと変わったと考えられているそうだ。
いわば火をコントロールする神様なので、無礼で間違ったことすれば火で罰せられるが、きちんと心から敬って祀れば、火から自分たちを守ってくれる存在になる、ということで、「火伏せ」として崇められるようになったのだと思う。


(9)岩屋神社(いわやじんじゃ)【10:29】

本殿背後に「陰岩」「陽岩」と呼ばれる2体の巨岩が祀られ、自然信仰の場となっている。仁徳天皇31年の創建と伝えられる。

(10)宝迎寺【10:38】

西鶴『好色五人女』の主人公「おさん・茂兵衛(もへえ)」の墓があることで知られているとか。これは実際の不倫事件を元にした小説で、さらにこれを、近松門左衛門が浄瑠璃『大経師昔暦(むかしごよみ)』(1715)として脚色。

戦後も川口松太郎が『おさん茂兵衛』(1954)として小説にし、さらにそれが『近松物語』の名で劇化され、「新派」の当り狂言になり、映画化もされたとのこと。

(ちなみに、「新派」とは1888年(明治21年)に始まった日本の演劇の一派で、「旧派」の歌舞伎に対し「新派」と称された。)


(11)愛宕山常夜灯【10:39】

宝迎寺の前にあった。

(12)道標【10:44】

「ひだり おゝつみち」「みぎ うじみち」。

(13)牛尾山道の道標【11:19】

牛尾山道は牛尾観音(牛尾山法厳寺)への道で、ハイキングコースになっている。

牛尾山法厳寺は垂仁(すいにん)天皇の指示により建立された祠が基になったとされているが、実は垂仁天皇の実在性は定かでない。

御本尊の十一面千手観音菩薩は天智天皇の御親作仏として知られ、秘仏になっているとのこと。

(14)追分の道標【11:32】

6月13日に、草津宿から三条大橋まで歩いたときに通った追分。「みきハ京ミち」「ひだりハふしミみち」と書かれている。

今回の最終地点。

予定通り京街道を無事に歩き終えた。

本日の歩行時間は、休憩も含めて3時間18分だった。

今日は終日の雨が残念だったが、梅雨時なのにその前の二日間は雨に会わずに済んだので、そちらの方の幸運を感謝したい。

川の堤防沿いの道から、商店街や、高層道路沿いの道など変化に富んだ街道だった。

全体を通して、いわゆる史跡はさほど多くは残されていなかったが、街道の雰囲気を感じさせるところもいくつかあり、興味深かった。

 

以下に、三日間で見つけたマンホールの蓋をまとめて記載する。

大阪市

大阪市の花「パンジー」が描かれているもの。EXPO1990も描かれている。

大阪市

大阪城と市の木「サクラ」が描かれている。

大阪市

大阪市役所北側の水晶橋とその下を通るアクアライナー(水上バス)、遠景に大阪城とツインビルが描かれている。

守口市

昭和60年10月に完成した京阪守口駅前開発のシンボルである「カリオン」(希望の鐘と名付けられた守口市と再開発地を結ぶ歩道橋のモニュメント)を中心に、市の花である「さつき」を周りに配置し、図案化したもの。

守口市

水玉模様に市の花サツキがデザインされたもの。中央は市章。

寝屋川市

市の木「サクラ」と市の花「 バラ」が描かれている。中央は市章。

枚方市

市の花「キク」と淀川を下る三十石船が描かれている。


京都府八幡市

中央は市章。(2羽の鳩は「八」を形どり、その周りを竹で囲んでいる)

京都府八幡市

市の花「サツキ」を全面に配している。

以上 

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