旧東海道4_川崎-横浜
◆旧東海道_川崎-横浜
2022年6月7日(木)曇り
旧東海道の日本橋から箱根間は2012年から2013年にかけて歩いたのだが、その時にはまだ旧街道を本格的に歩くつもりはなかったので、写真もあまり撮っていなかった。すでに十年近く経ったので、改めて、空いた時間を使って歩き直すことにした。
本日は川崎から横浜(神奈川宿)間を歩いた。
(1) 砂子一丁目交差点【9:48】
前回の終了地点からスタート
(2)「川崎宿と明治維新」の掲示板【9:50】
(3)東海道と大師道案内図【9:51】
(4)佐藤本陣跡地【9:52】
(5)旧東海道標柱【9:55】
(6)小土呂橋(こどろばし)【9:56】
(7)芭蕉の句碑【10:06】
(8)地蔵尊【10:06】
(9)無縁塚【10:09】
道路の向かい側には史跡巡りの案内板もある。
(10)古民家風の建物【10:14】
今回歩いた経路の中では、残念ながらこういった旧街道らしい建物は他に見かけなかった。
(11)熊野神社【10:18】
旧東海道の表示板
(12)市場の一里塚【10:22】
街道筋で見かけた銭湯
(13)庚申塔【10:25】
(14)下町稲荷【10:25】
(15)金剛寺【10:27】
(16)鶴見川橋【10:29】
初代の橋は東海道が整備された1601年(慶長6年)頃に架けられた。当初は「釣海橋」と呼ばれていたが、川から見える鶴の群れを見た家康が「めでたいことなので、これからは『鶴見橋』と呼ぶように」と言ったことから橋名が改められたという言い伝えがある。
なお、下流側に国道15号が整備されたときに「鶴見橋」の名を譲り、「鶴見川橋」に改称された。
(17)鶴見橋関門旧蹟の碑【10:31】
(18)寺尾稲荷道(てらおいなりみち)道標【10:33】
(19)旧東海道説明板【10:34】
(20)鶴見神社【10:40】
(21)名主佐久間家跡【10:43】
(22)鶴居堂(かっきょどう)跡【10:44】
(23)鶴見霜王樹茶屋跡【10:47】
街道にあったモニュメント
(24)国道駅へのガード下通路【10:58】
(25)子育地蔵尊【11:01】
(26)慶岸寺【11:01】
(27)道念稲荷神社【11:06】
「しめ縄」を付け替えているところだったようで、脚立が残されたまま。
(28)仏像群【11:14】
中央は菩薩像だと思われるが、なぜかその台座には庚申塔の三猿が描かれている。
(29)神明社【11:15】
蛇も蚊も祭り(じゃもかもまつり)は、明治の中頃から本宮の(26)道念稲荷社と、この原の神明社の二ヶ所で行われるようになった。
(30)生麦事件碑【11:22】
(31)キリンビール横浜工場【11:24】
高速道路下の橋桁
何でこんなクラシカルな橋脚構造体?と思ったら、工場地帯に伸びる鉄道の高架橋のようだった。
(32)トマトケチャップ発祥の地の碑【11:35】
(33)土居(桝形)&長延寺跡 説明板【12:10】
(34)良泉寺【12:15】
(35)笠間稲荷大明神【12:31】
(36)神奈川台場跡【12:32】
(37)分岐点【12:39】
(38)洲崎大神【12:40】
(39)普門寺【12:42】
(40)甚行寺(じんぎょうじ)&フランス公使館跡【12:44】
(41)神奈川宿説明板【12:46】
(42)青木橋【12:47】
(43)分岐点【12:49】
(44)大綱金刀比羅(おおつなことひら)神社
写真右側に見慣れない像があったので調べたら、天狗の像とのこと。
金刀比羅権現は天狗との関わり合いが深いため、江戸時代には、顔の長さ四尺五寸(約1m36cm)、巾三尺(約90cm)の鼻高々とした大天狗が祀られていたという。
江戸から四国(香川)の金毘羅信仰総本宮である「金刀比羅宮」へ奉納しようと、大天狗を担いで東海道を渡る際、神奈川宿で一泊したところ、翌日に大天狗が大岩の如き重さになり進まなくなってしまったという。仕方なくその日も神奈川宿で宿泊すると、夢に「飯綱の宮に住みたいのでここに置くように」とお告げがあったため、当社に奉納して祀られた、という言い伝えがあるそうだ。
(45)広重の浮世絵【12:54】
歌川広重作「東海道五十三次・神奈川」の浮世絵が外壁に飾られていた。
(46)田中家【12:55】
(47)台と茶屋の説明板【12:56】
本日は予定通りここまでとした。
休憩を含めた歩行時間は、3時間8分だった。
道路上に旧東海道のタイルがあったので以下に示す。(マンホールではない。)
<全体のメインメニューは下記をクリック>
<https://sites.google.com/view/slowly-walker>
以上
コメント
コメントを投稿