旧日光街道3_草加宿ー越谷宿
◆旧日光街道 草加宿-越谷宿
2024年1月28日(日)曇り
旧日光街道(日光道中)の草加から北越谷の区間を歩いた。
(1)草加駅【10:06】
(2)駅前交差点【10:10】
前回の終了地点で、ここから旧日光街道となる。角に道路元標がある。
(3)八幡神社【10:11】
(4)藤城家【10:12】
明治初期建築の町屋造。
(5)明治天皇草加行在所記念碑【10:18】
(6)道路元標【10:21】
明治期に作られたもの。ここは江戸時代の問屋場跡だったとのこと。
道の向かい側には現代の道標(案内板)があった。
(7)大川本陣跡【10:22】
(8)清水本陣跡【10:22】
(9)おせん茶屋【10:27】
街道筋の草加せんべい店。類似の店舗が複数みられた。
(10)久野家住宅【10:32】
(11)神明宮【10:34】
(12)河合曽良像【10:35】
(13)おせん公園・草加せんべい発祥の地碑【10:36】
(14)札場河岸跡【10:39】
(15)芭蕉像【10:42】
(16)日本の道百選碑【10:43】
(17)矢立橋【10:44】
橋上のタイル
街道風景
向こう岸にも公園が整備されていた。「まつばら綾瀬川公園」とのこと。
(18)ハーブ橋【10:53】
写真では分かりづらいが、欄干の上に小さなハープの像がいくつも付けられていた。
(19)名勝碑【10:55】
街道風景
(20)百代(ひゃくたい)橋【10:58】
「奥の細道」の冒頭「月日は百代の過客にして…」にちなんで命名された。
ちなみに、東京都港区にも百代橋はあるが、そこは「ももよばし」と読ませる。
(21)日光街道案内石碑【11:00】
道の両端にあった。
(22)松尾芭蕉文学碑【11:02】
(23)水原秋桜子句碑【11:05】
街道風景。ここから次項の北端碑までの間、道の左端は水が流れるようになっている。
(24)草加松原北端碑【11:09】
旧街道には似合わないモニュメントのように思えたので、後日調べたら、丸いリング状のものは「人と自然が環となり治水に取り組む姿」を表したものだそうだ。
(25)石仏石塔群【11:11】
(26)奥の細道タイル壁画【11:12】
街道風景。桜並木。
歩いている道のすぐそばの木で、小さな鳥が「ドラミング」をしているのに気付いた。慌てて撮影したが、すぐに気づかれて翔んでいってしまった。
後日調べたら、「コゲラ」という全長15cmの日本で一番小さなキツツキとのこと。
(27)愛宕神社【11:18】
(28)蒲生大橋【11:22】
(29)蒲生の一里塚【11:23】
街道沿いの町屋。
(30)藤助河岸(とうすけがし)跡【11:24】
(31)不動明王道標【11:36】
(32)清蔵院【11:39】
(33)南越谷阿波踊り発祥の碑【12:20】
(34)照蓮院【12:39】
(35)分岐点&里程表【12:40】
里程表は車道側なので近づくのは危険だし、文字も小さくて碑文は読めない。ここから各地への距離が書いてあるそうだ。
(36)庚申塔&仏像群【12:46】
丸い石の周りに六体の仏像が彫られている。こうしたものは初めて見た。
街道風景
ここからしばらくは、古い町屋の建物がちらほら見られた。
(37)横田診療所【12:56】
昭和10年に立てられたドイツ式建築で、建設された当初は越谷郵便局だったそうだ。なお、ネット情報では診療所は既に廃業となっていた。
(38)旧大野家住宅【13:02】
明治時代に建築された建物で、現在は、レストランや店舗を備えた古民家複合施設として活用されているとのこと。平成31年に国登録有形文化財(建造物)に登録。
(39)市神社【13:02】
街道沿いの店舗のショーケースには「日光街道越ケ谷宿」と書かれたランタンが飾られていた。ただ、小ぶりで店内に置かれていることが多いようで、外を歩くだけだと、ほとんど気が付かないことが多かった。
(40)明治天皇大澤御小休所碑【13:07】
ベンチとトイレもあった。
(41)照光院【13:19】
(42)北越谷駅前交差点【13:22】
予定通り本日はここまでとした。
(43)北越谷駅【13:23】
歩行時間は、休憩も含めて3時間17分だった。
本日見つけたマンホール蓋を以下に示す。
越谷市
市の鳥「しらこばと」と市の木「ケヤキ」をデザインしたもの。
草加市
草加市のシンボル「百代橋」と市の木でもある松並木の「松」をデザイン。
越谷・松伏水道企業団
越谷市と北葛飾郡松伏町に上水道用水の供給を目的とする「一部事務組合」の蓋。
ほっそりした菊のデザイン。越谷市の花、松伏町の花が共に菊。
以上
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