旧北陸街道2_魚津ー黒部

◆旧北陸街道_魚津-黒部

2024年10月18日(金)晴れ時々曇り

今回は黒部の北部から魚津まで歩いた。


(1)沓掛バス停【7:40】


(2)沓掛南交差点【7:42】

(3)本伝寺【7:46】

街道風景


(4)高祖聖人御旧跡【7:53】

(5)芭蕉天神【7:59】


(6)小祠【8:00】

(7)木樹社【8:01】

(8)分岐点【8:02】


(9)馬場桜【8:13】


(10)東三日市踏切【8:14】

(11)北陸街道分岐点道しるべ【8:17】
病院の敷地内にあった。


(12)仁王門【8:18】



街道風景

(13)三本柿【8:19】





(14)西徳寺【8:37】

街道風景

(15)辻徳法寺【8:38】



(16)電鉄黒部駅【8:40】

(17)三島の大ケヤキ【8:41】




(18)八心大市比古神社(通称:三島神社)【8:46】
(やごころ おおいちひこ じんじゃ)明治時代までは「三島大明神」と呼ばれており、明治時代に現社名となったが、現在でも三島神社と呼ばれているそうだ。



街道風景

(19)六字名号塔【8:51】


(20)分岐点【8:57】

(21)石仏石塔群【9:22】


(22)黒瀬橋【9:31】

(23)明治天皇田家展覧所阯【9:33】

(24)第三北陸街道踏切【9:35】


街道風景

(25)得念寺【9:41】
「バラバラでいっしょ」との意味は、調べたら「他との繋がりを見つける事」だそうだ。
遠方から見たときには「パラパラで」と見えたので、「パラパラ ダンス」でも踊るのか、と驚いたのだが・・・。

徳念寺は次の光徳寺の参道沿いにあり、北陸街道沿いからは、一見して普通の民家にしか見えない。

(26)光徳寺【9:41】

(27)神明社【9:44】


(28)石碑【9:46】

街道風景

(29)布施橋【9:51】


街道風景

(30)市境標識【9:56】

(31)有頼柳(ありよりやなぎ)碑【9:59】
ここより下流200mに「越中国守館跡」があるとの案内石碑。立山開山の佐伯有頼が国守をしていた当時の館跡で、老柳が二本あるという。そこに「有頼柳」と刻む自然石があり、その前に多数の小石が置かれているが、立山登山では枝の上にある石を持参する習慣があるとか。

(32)片貝橋【9:59】

融雪装置

(33)斎沢(いつきさわ)村説明板【10:03】


(34)小祠【10:13】

(35)跨道橋【10:14】


(36)大徳寺(明治天皇持光寺御小休所)【10:19】
大徳寺なのに石碑は持光寺?後日調べたがよくわからない。




(37)石碑【10:31】

(38)小祠【10:42】

(39)上村木交差点【10:55】
本日はここまで。その後魚津駅に移動。

ここまでの歩行時間は、休憩も含め3時間15分だった。

途中で出会ったマンホール蓋は以下一点。

富山県黒部市
黒部川の清流を力強く泳ぐ「アユ」のデザイン。 中央に旧市の花ユリ。
(2006年3月31日 に、隣接している宇奈月町と合併し、新たな黒部市となった。現市の花はサクラとツバキ)
以上

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