旧日光街道15_今市宿ー鉢石宿(日光)
◆旧日光街道 今市宿-鉢石宿(日光)
2024年1月13日(月)晴れ
旧日光街道の最後の区間、今市宿から鉢石(はついし)宿間を歩いた。
(1)今市駅【8:15】
(2)小倉交差点【8:24】
前日の終了地点。ここから街道歩きを再開。
(3)二宮尊徳翁之墓の案内標柱【8:25】
墓は約200m離れた場所にある報徳二宮神社にある。享年70歳だったそうだ。
(4)船村徹記念館【8:26】
道の駅の隣。船村徹は、北島三郎や美空ひばりなど多くの歌手に楽曲を提供した演歌界の大御所作曲家で、今市の出身。
(5)渡邊佐平商店【8:26】
日本酒「日光誉」を造る、創業天保十三年(1842年)の蔵元。
(7)日野為(ひのため)商店【8:29】
慶応4年=明治元年(1868年)創業の栃木県産味噌・醤油の販売店。今はお休み処叶(カフェ&バー)を併設しているとのことだが、時間が早いためか、まだ開いていなかった。
(9)小野口商店【8:32】
享保年間(1716年から1736年:徳川吉宗の時代)創業。天然醸造味噌やたまり醤油が名物とか。
(10)明治天皇御小休の蹟【8:32】
ここは脇本陣跡。
(11)日光市ふくろうの森 手塚登久夫 石彫館【8:33】
手塚登久夫氏は日光市出身の彫刻家。作品の多くは「ふくろう」をモチーフとしているとのことで、建物の入口両側にも印象的なふくろうの像が立っている。
街道風景
(14)高靇(たかお)神社【8:39】
(17)ベンチと街灯【8:55】
ここまでの並木街道の中でベンチと街灯があるのはここだけだった。
(19)代々馬力神【9:08】
大正時代の建立。
l(20)道標【9:15】
(23)並木街道説明板【9:29】
国道119号との合流地点。
(24)常夜灯【9:31】
寛政3年(1791年)=徳川家斉の時代に建立されたもの。
(25)弘法の霊水の表示木【9:33】
後日調べたが詳細不明。
道の反対側に道標(27)道標【9:46】
(29)麻疹(はしか)地蔵【9:57】
麻疹(はしか)は江戸時代に何度も流行があって非常に恐れられていたそうだ。「生類憐れみの令」で有名な5代将軍・綱吉は成人麻疹で亡くなっているとのこと。
その麻疹にかかった時、筋違橋の下をくぐると治るという信仰があって、麻疹地蔵と呼ばれている。
ただ、ネット情報によると、その由来とは、「筋違橋の下」すなわち「橋下」を「はしか」と読んで、音が通じることから「麻疹(はしか)」が治るという、洒落のような信仰とのこと。これが江戸時代なのかもしれない。
(30)分岐点【9:59】
(31)分岐点&道標【10:04】
街道風景
これまで歩いてきた並木街道の中で、階段があるのはここが初めてだった。
駅前からみた光景
雪景色が綺麗な山々は、左端が男体山、中央左が大真名子山、中央右が女峰山、とのこと。
l(34)木戸門跡【10:24】
(37)鉢石(はついし)【11:17】
(40)日光山内口【11:24】
旧日光街道(日光道中)の終点になる。これで全区間踏破完了。
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