旧結城街道1_小山宿ー結城宿

◆旧結城街道 小山宿-結城宿

2025年2月22日(土)晴れ時々曇り

旧結城街道の小山宿から結城宿を経て川島駅まで歩いた。


(1)旧日光街道との分岐点【11:47】


(2)愛宕神社【12:11】

街道風景




(3)分岐点【12:34】

(4)二十三夜塔&馬頭観世音【12:36】


(5)石仏石塔群【12:40】



(6)国道4号線高架【12:44】

(7)馬頭観世音【12:47】

街道風景

(8)馬頭観音【12:51】

街道風景。中央やや右に見える山並みは筑波山。

(9)分岐点【12:54】

街道風景

(10)分岐点【12:56】

(11)二十三夜塔【12:59】

(12)熊野神社【13:00】


(13)結城酒造【13:41】



門が固く閉まっていて廃屋のような雰囲気だったので、後日調べたら、2022年(令和4年)5月11日に火災にあったそうだ。
それにより、江戸時代後期に建設された国の登録有形文化財の「安政蔵」と「新蔵」の酒蔵2棟、及び木造2階家屋の3棟、計1,114平方メートルが全焼。「安政蔵」は1859年(安政6年)ごろ、「新蔵」は1865 - 1868年(慶応年間)に建築されたとされ、2000年(平成12年)に同文化財に登録されていた。「煉瓦造煙突」だけは消失をまぬがれたという。

(14)毘沙門天【13:43】



(15)武勇酒造【13:45】
江戸時代末期の慶応年間(1867年)に創業とのこと。




(16)保坂家住宅【13:47】



(17)地蔵尊【13:47】

(18)孝顕寺【13:49】




(19)稱名寺【13:52】


結城朝光(ゆうき ともみつ)は、平安時代末期から鎌倉時代中期にかけての武将・有力御家人。下総結城氏初代当主。頼朝の側近(評定衆)として幕政に参与し、弓の達人で和歌にも通じた文武両道の人物として知られていたそうだ。







(20)小西店蔵【13:57】
店蔵とは防火のために土蔵造りにした店。小西酒造から分家して明治8年(1875年)に小西銅鉄店を興した時の店舗とのこと。

(21)健田須賀(たけだ すが)神社【13:58】




街道風景

(22)浦町まちかどパーク【14:01】

(23)薬師堂・地蔵堂【14:07】

(24)結城政勝公御影堂【14:08】


結城 政勝(ゆうき まさかつ)は、結城氏第16代当主。戦国時代の末期に活躍。文亀3年(1503年)~永禄2年(1559年)。

(25)第一水戸街道踏切【14:16】
ここは本来の水戸街道ではないのだが、小山側から水戸へ向かう場合には、通称で水戸街道と呼ばれることもあったそうだ。(以前歩いた水戸街道も、水戸から江戸に向かう場合には、江戸街道と呼ばれたこともあったとのこと。向かう方向で街道を呼ぶ習慣は、よくあった事のようだ。)




街道風景



(26)畜魂碑【14:34】
全日本農協畜産公社の敷地内。

(27)市境標識【14:37】

街道風景。

(28)通行止め標識【14:40】

(29)新川島橋への登り口【14:43】

(30)新川島橋【14:46】


(31)天満宮【14:58】

(32)地蔵尊【15:00】

(33)人面付壺型土器【15:04】



(34)川島駅【15:04】

ここまでの歩行時間は、3時間17分。

今回出会ったマンホールの蓋は以下。

茨城県結城市
市の花ユリのデザイン。


茨城県結城市
「まゆげった」と市の花ユリのデザイン。
「まゆげった」は、結城市のマスコットキャラクター。結城市の特産品で構成されている。桐下駄の鼻緒をモチーフとした眉、養蚕が盛んなことから繭をモチーフとした身体、絹糸を用いた織物である結城紬を身に着け、桐下駄を履いている。


茨城県筑西市
市の木であるサクラの花で市章を囲むデザイン。サクラの花が蕾から中心に向かって開花していく様子が描かれている。中央には旧下館市章。
2005年(平成17年)、下館市と真壁郡関城町・明野町・協和町が新設合併して、筑西市(ちくせいし)になった。

以上

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