旧成田街道5-2_佐倉-成田(その2)

◆旧成田街道_佐倉―成田(その2)

2026年9月18日(金)曇り時々晴れ時々小雨

(27)京成酒々井駅【11:26】

2025年の一日の平均乗降人員は6,517人。休憩するために寄ったのだが、改札周辺にはベンチ等の休憩する場所はまったくなく、写真を撮っただけで移動した。






(28)岩名仁王道道標&石塔類&小祠【11:19】




(29)成田道道標【11:15】


(30)成田道道標【11:14】

(31)分岐点【11:11】

(32)分岐点【11:07】

(33)大崎馬頭観世音【11:00】




街道風景

(34)成田道伊篠(いじの)の松並木跡と道標【10:53】



石碑?詳細不明

(35)成田山護摩大山供養塔【10:45】
成田山新勝寺の護摩焚きに使うための材木(護摩木)を調達・寄附した記念碑(供養塔)
街道風景

(36)成田山護摩大山供養塔【10:43】

(37)伊篠松並木跡(いじののまつなみきあと)碑【10:40】

(38)分岐点【10:36】

街道風景


(39)地蔵菩薩【10:30】
不似合いな白いキャップを被せられた古いお地蔵様。ちなみに、2023年のストリートビューでは赤いキャップを被せられていた。
台座には「三界万霊」「文政四」の文字が見られる。
後日調べたら、「三界万霊」はこの世のあらゆる世界(三界)に存在するすべての生命や死者の霊魂(万霊)を意味する仏教用語で、先祖や特定の故人だけでなく、身寄りのない無縁仏や、この世のすべての生きとし生けるものの霊を分け隔てなく供養するという慈悲の教えを意味するらしい。
文政四年は西暦1821年で徳川家斉の時代。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」が完成して幕府に献上された年。つまりこの像は205年前に作られたもの。
田舎の田んぼの中に、200年以上も前のものが、雨ざらしのままヒッソリと残っているということになる。
街道風景

(40)分岐点【10:26】

(41)常夜灯【10:20】

(42)市町境標識【10:16】


(43)一本松跡【9:18】
かつて成田街道と宗吾参道との分岐点の目印として一本の大きな松の木があった場所。松は枯死により1976年(昭和51年)に伐採されたが、翌1977年(昭和52年)に有志によってこの記念碑が建立された。


(44)成木県道踏切【9:12】


(45)庚申塔【9:03】

(46)不動ヶ岡の不動尊旧蹟【9:01】




(47)小祠【8:57】


(48)京成成田駅【8:44】

(49)JR成田駅【8:44】

(50)成田からくり時計【8:43】


(51)大師堂【8:42】

街道風景(表参道)

(デジカメの不具合により、以降の写真では多数の細い線が入ってしまった。)



(52)道祖神【8:32】
街道風景


(53)成田山薬師堂【8:26】


(53)成田山薬師堂【8:26】

街道風景

(55)一粒丸(いちりゅうがん)三橋薬局【8:21】
創業が江戸時代中期で、胃腸や頭痛などに効能がある「成田山一粒丸」の製造本舗。現在も各種漢方薬や薬草を取り揃えている。現存店舗は明治3年の大火の後に建てられたものだが、土蔵は江戸末期のもの。国登録有形文化財。


(56)成田山新勝寺総門【7:33】

本日の旧街道歩き旅はここで終了。

この後成田山新勝寺を参拝したが、その記録は<史跡巡り・社寺遺跡の「成田山新勝寺」>に記載した。

今回出会ったマンホール蓋は下記。

千葉県成田市
 市の花アジサイ、市の木ウメのデザイン。

千葉県印旛郡酒々井町
町の木である大小の梅の木を8本 デザイン。中央に町章。
町章の三角形は千葉県を表し、円は北総台地と人の和を表し、県の酒々井町の位置に町名の頭文字「酒」を配したもの


千葉県印旛郡酒々井町
ネット情報が見つからなかったが、市標が下部にあるので、その上の花は町の木である梅と思われる。
以上

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