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旧甲州街道15_韮崎-穴山

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◆旧甲州街道_韮崎-穴山 2023年4月18日(火)曇り 旧甲州街道(甲州道中)の韮崎宿と穴山の間を歩いた。 (1)韮崎駅【12:15】 (2)本町交差点【12:20】 前回の終了地点から旧甲州街道をスタート。 (3)小林一三翁生家跡碑【12:23】 小林一三(こばやし いちぞう)は宝塚歌劇団や阪急電鉄の創設者。 小林家は巨摩郡河原部村(現在の韮崎市)の名主であった。明治維新後は区長を努め、醸造業、製糸業、金融、地主経営を行なう近郷きっての大地主であり資産家であったそうだ。 街道風景 歩道上のタイル。 前掲の街道風景に見られる街路樹は「ハナミズキ」だと思われる。よって、このタイルも「ハナミズキ」か? (4)馬頭観音【12:29】 (5)行人塚【12:32】 (6)水神宮【12:35】 (7)十六石【12:40】 (8)常夜灯&石祠【12:47】 (9)水難供養塔【12:52】 昭和34年の台風による釜無川の氾濫の犠牲者を供養したもの。 街道風景 (10)神明宮【13:07】 火の見やぐら (11)赤地蔵【13:15】 表面が赤く塗られていることから地元では「赤地蔵」と呼ばれている。享保六年(1721年)建立。 街道風景 (12)石塔群【13:21】 (13)水難供養塔【13:28】 ここから先しばらく史跡等は何もなく、国道20号線を淡々と進む。 街道風景 (14)川魚供養塔【13:48】 私有地の奥にあって近寄れないので、国道から望遠で撮ったもの。 街道風景 上の写真はトラック等が途切れた時に撮ったものだが、実際には多くの大型車等がかなりの速度で脇を走り抜けていって、ガードレールもなくいささか怖い。 (15)復興の碑【14:12】 (16)穴山橋【14:15】 (17)穴山橋バス停【14:21】 予定通り今日はここまでで終了とした。 歩行時間は休憩も含めて2時間6分。 この後韮崎駅に戻るバスの発車時刻まで少し時間があったので、次の公園でしばらく休憩した。 (18)午頭島(ごとうじま)公園【14:25】 <全体のメインメニューは下記をクリック> < https://sites.google.com/view/slowly-walker >  以上

旧東海道2_品川-大森

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◆旧東海道_品川-大森  2023年3月30日(木)晴れ 旧東海道の品川-蒲田間は2012年5月20日に歩いたのだが、その時にはまだ旧街道を本格的に歩くつもりはなかったので、写真もあまり撮っていなかった。すでに十一年も経ったので、改めて、空いた時間を使って歩き直すことにした。 (1)品川駅創業記念碑【9:04】 品川駅周辺の再開発を行っているようで、工事隔壁に囲まれていた。 (2)東海道宿場町の名称石杭【9:13】 道路沿いに立っていた。ちょっと分かりにくいが、写真だと手間から「藤澤」「戸塚」「程ヶ谷」と記載されている。 (3)品川宿案内板【9:14】 休憩所とトイレもあった。 (4)標石【9:17】 これ以降いくつもあった。前回の街道歩き時(2012年)にはなかったもの。 街道風景 (5)問答海岸跡【9:18】 かつて海岸先に波止場があり、三代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした故事にちなむとのこと。 家光の「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚は「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と答えたそうだ。 標石【9:19】 (6)土蔵相模【9:20】 (7)袋井宿の街道松二【9:21】 以降も同様の街道松がいくつも見られた。 書かれているように、平成二十八年(2016年)に立てられたということなので、前回の街道歩き時(2012年)にはなかったもの。 道の説明板  このあといくつも見られるが、これも前回時にはなかったもの。 (8)善福寺【9:24】 1658年(万治元年)の造立とのこと。 (9)台場横丁説明板&袋井宿の街道松【9:25】 (10)品海公園【9:26】 多くの説明板があった。 街道風景 (11)臨海山法禅寺&品川小学校発祥の地【9:28】 1384年(至徳元年)開山。宝永年間(1704年~1711年)、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母桂昌院の帰依を受けていたこともあり、格式ある寺院として整備されることになったそうだ。 品川区で一番古い小学校である品川小学校は, 明治7年(1874) 、それまでの私塾を引き継ぐ形で法禅寺に開かれた。 坂下宿の街道松&虚空蔵横丁説明板 (12)一心寺【9:31】 なんで成田山の提灯が飾られているのか不思議だったが、調べた結果は次の通り。 安政2年(1854)に山村一心が成田山不...