旧東海道2_品川-大森

◆旧東海道_品川-大森 

2023年3月30日(木)晴れ

旧東海道の品川-蒲田間は2012年5月20日に歩いたのだが、その時にはまだ旧街道を本格的に歩くつもりはなかったので、写真もあまり撮っていなかった。すでに十一年も経ったので、改めて、空いた時間を使って歩き直すことにした。

(1)品川駅創業記念碑【9:04】

品川駅周辺の再開発を行っているようで、工事隔壁に囲まれていた。



(2)東海道宿場町の名称石杭【9:13】

道路沿いに立っていた。ちょっと分かりにくいが、写真だと手間から「藤澤」「戸塚」「程ヶ谷」と記載されている。

(3)品川宿案内板【9:14】

休憩所とトイレもあった。


(4)標石【9:17】

これ以降いくつもあった。前回の街道歩き時(2012年)にはなかったもの。

街道風景


(5)問答海岸跡【9:18】

かつて海岸先に波止場があり、三代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした故事にちなむとのこと。

家光の「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚は「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と答えたそうだ。

標石【9:19】

(6)土蔵相模【9:20】



(7)袋井宿の街道松二【9:21】


以降も同様の街道松がいくつも見られた。

書かれているように、平成二十八年(2016年)に立てられたということなので、前回の街道歩き時(2012年)にはなかったもの。

道の説明板 このあといくつも見られるが、これも前回時にはなかったもの。



(8)善福寺【9:24】

1658年(万治元年)の造立とのこと。

(9)台場横丁説明板&袋井宿の街道松【9:25】


(10)品海公園【9:26】

多くの説明板があった。




街道風景

(11)臨海山法禅寺&品川小学校発祥の地【9:28】

1384年(至徳元年)開山。宝永年間(1704年~1711年)、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母桂昌院の帰依を受けていたこともあり、格式ある寺院として整備されることになったそうだ。

品川区で一番古い小学校である品川小学校は, 明治7年(1874) 、それまでの私塾を引き継ぐ形で法禅寺に開かれた。

坂下宿の街道松&虚空蔵横丁説明板


(12)一心寺【9:31】

なんで成田山の提灯が飾られているのか不思議だったが、調べた結果は次の通り。安政2年(1854)に山村一心が成田山不動明王を模刻(オリジナル仏像を忠実に再現)し、文久元年(1861)洲崎辨天境内に堂宇を建立。その後、弘道僧正の代に寺号を許可され、豊盛山延命院一心寺と号すようになったとのこと。

竹屋横町

(13)品川宿本陣跡【9:32】


枚方宿の街道松



(14)品川宿交流館【9:35】

(15)品川橋【9:36】


(16)脇本陣跡【9:38】


(17)街道松の広場【9:40】



(18)道標【9:41】
三岳

三島宿の街道松

(19)宮川家旧宅跡【9:48】


(20)城南小学校【9:49】入口の案内板が旧街道風。



(21)道標【9:53】

(22)江戸幕府御用宿 釜屋跡【9:55】



保土谷宿の街道松 釜屋跡の隣


(23)品川寺(ほんせんじ)【9:55】

寺伝によると、弘法大師空海を開山とし、大同年間(806 – 810年)に創建されたという。「品川」の地名の由来となった品川区で最古のお寺。


(24) 石碑【9:59】「贈太政大臣岩倉公御墓参拝道」&「鮫洲正観世音菩薩道」

石碑の前の道の先には「海晏寺(かいあんじ)」があり、その参道を表す石碑。「海晏寺」には岩倉具視のお墓がある。

(25)八幡神社【10:06】

(26)富士浅間大神【10:07】

富士塚だと思って調べたが詳細不明。

街道風景


(27)嶺雲禅寺【10:25】

慶長9年(1604)に創建された曹洞宗の寺。

(28)道標【10:26】

(29)浜川砲台【10:30】




街道筋の民家。

(30)浜川橋(泪橋)【10:35】


街頭筋の山桜

(31) 浜川神社【10:43】



駐車場の上に神社があるのは珍しい。

(32)鈴ヶ森刑場遺跡【10:45】

先客がいて説明板になかなか近寄れない。

慶安4年(1651年)に開設。旧東海道の江戸の入り口に当たる場所に作られ、小塚原刑場・板橋刑場と並んで、江戸の三大刑場と言われる。十万単位の人がここで刑死したそうだ。

歩道面にあった品川水族館への案内タイル。


(33)磐井神社【10:58】

(34)分岐点【11:06】

(35)道標【11:08】


上の石碑には「三原通り」と書かれているが、(38)の掲示板によると、かつては「三原通り」と呼ばれたが、今は「美原通り」と呼ぶそうだ。

街道風景

通り沿いには腰掛石がいくつも並んでいた。上の写真でも道の両端の電柱脇や街路樹脇に並んでいるのが分かる。

その腰掛石の座面には、浮世絵風の絵が描かれているものもあるので、そのなかのいくつかを順に掲載する。





(36)道標【11:13】


(37)道標【11:15】

(38)旧東海道掲示板【11:18】


(39)羽田道道標【11:19】


路面にあった「するがや」のタイル。

(40)道標【11:22】

(41) 西南・日清の戦役碑&大森区役所跡【11:25】



(42)大森町駅前交差点【11:28】

本日は予定通りここまで。ちょうど桜が満開の時期で、気持ちのいい散策になった。

全体の歩行時間は休憩を含めて2時間24分だった。

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以上


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