旧児玉往還5_奈良梨-用土

◆旧児玉往還_奈良梨-用土

2021年10月27日(水)曇り

児玉往還の奈良梨と用土間を歩いた。

児玉往還+川越街道は中山道の脇街道)


奈良梨のバス停に12:32に到着。

前回終了地点の奈良梨の交差点を12:33に出発



脇道への分岐点(普賢寺入口)


(1)馬頭観音【12:35】

(2)萬福寺【12:37】


(3)普賢寺【12:38】



(4)道祖神?【12:41】

(5)馬頭観世音【12:41】

(6)石仏石塔群【12:52】



(7)四津山神社入口標石【13:00】

(8)庚申塔【13:07】

街道風景

歩道にまで雑草が伸びていて、いささか歩きにくい。



(9)延命地蔵尊【13:14】

本堂の中の「木造地蔵菩薩立像」が室町時代の作として有名とか。


亀が乗っている石塔があった。

大国天の石塔や月待塔も見られた。

月待塔に刻まれた文字は「二十一夜塔」か「二十六夜塔」のように読めるが、下の台座に「女人講中」とあるので「二十二夜塔」か?

(10)高蔵寺【13:20】

(11)土蔵と御嶽神社の碑【13:25】

(12)薬師堂【13:28】

薬師堂脇の石塔石仏

(13)石仏石塔群【13:31】

(14)296号線からの分岐点【13:35】

(15)石仏石塔群【13:58】

事前に調べた時には「火の見櫓」の隣ということだったが、火の見櫓は既に撤去されていた。


(16)出雲乃伊波比神社【14:00】





(17)祠と石塔【14:10】
祠には「天神社」の表示があった。石塔は庚申塔?

(18)常楽寺【14:11】


この先少しの区間は川辺に行く道なのに、まるで山道のようだった。

この後、川の向こう岸に行くのに次の写真の「花園大橋」を渡ったが、その橋に行くのに 地図に記載したような大きな回り道をしなければならなかった。

(19)花園大橋【14:30】

(20) 川端の宝篋印塔(ほうきょういんとう)【14:36】

この石塔は付近の金井家の井戸からバラバラの状態で出土したもので、それを積み上げたものという。

説明板ではこの塔の建立は延文3年(1359)新田氏の一族岩松氏によるとある。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種。これを礼拝することで罪障が消滅し,苦を免れ,長寿を得ると信仰された。

右側の塔(次の写真)は、あきらかに底部が一番上になっていて、しかも逆さまに積まれているようだが、なぜだろうか?

(21)七福神像【14:41】

新しいもののようだが、個人的に設置されたものか?

(22) 荒川の板石塔婆【14:45】

民家の横を通って少し南に入ったところ。




(23)石仏石塔群【14:47】

(24)石仏群【14:50】

(25)国道の横断地下道【14:54】

街道はこの国道140号線を横断するが、最初はこの地下道に気づかずに、どうやって横断するかとちょっと悩んだ。さすがにこうした地下道がないと横断は難しい場所だ。

(26)小前田の富士塚【15:01】

調べたら明治41年(1908年)の築造だそうだ。




(27)長善寺【15:07】



(28)花園村道路元標【15:12】

道路脇の立派な門

(29)諏訪神社【15:21】


(30)馬頭観世音【15:24】

(31)石塔群【15:26】

庚申塔のようだ。


(32)道標【15:40】

(33)八幡神宮【15:45】


道路脇の花

(34)道祖神【15:49】


(35)石仏石塔【16:01】

(36)道標と庚申塔【16:07】

(37)道路元標【16:09】

(38)諏訪神社【16:12】

(39)用土駅【16:15】

今回は予定通りここまでとした。

歩行時間は休憩を含めて3時間43分。


ここまでに出会ったマンホール蓋を順に示す。

 

寄居町

中央上部に「寄」「い」を図案化した町章。

町の花「カタクリ」が左右に線対称に描かれている。

寄居町

町の鳥キジ、花カタクリ、木ヤマザクラ をデザイン。

キジは「つがい」で左が雄。

旧花園町(現・深谷市)

上部に町の木のキンモクセイ、中央に町の鳥のヒバリ、下部に町の花の福寿草。


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以上

 

 

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