旧浦賀道8_逗子ー鎌倉

◆旧浦賀道_逗子-鎌倉

2020年11月09日(月)晴れ

西浦賀道の逗子から鎌倉の区間を歩いた。

(1) 逗子・葉山駅方面交差点【8:21】

前回終了地点の交差点からスタート。

なお、写真の左下に見えるガード下をくぐると、逗子海岸海水浴場。


(2)地蔵尊群【8:26】

(3)庚申塔群【8:37】


(4)馬頭観世音&轢死者供養塔【8:45】

(5)法性寺山門【8:46】

(6)庚申塔【8:56】



(7)名越(なごし)切通&まんだら堂やぐら群
【9:04~9:35】






来るまで知らなかったのだが、まんだら堂やぐら群は10:00からの開場だった。
よって、今回は中に入らずに先に進もうと思ったのだが、たまたまそこを管理する人がちょうど来られたところで、親切にも中に入れてもらえた。












(8)道標?【9:39】

正面の碑文は日蓮宗の石碑のように思えるが、横面には「右・・・」という記載が見えるので、道標なのだろうか?

(9) 日蓮乞水(にちれんこいみず)【9:40】

1253年、鎌倉へと向かう日蓮は急にのどの渇きを覚え、その地に杖を突き刺すとそこから水が湧き出たという伝説の井戸。鎌倉五名水の一つ。


(10)日蓮水石碑【9:43】

前項の日蓮乞水の場所を示す石碑か?

(11)銚子の井【9:44】

六角に造られた井戸枠の一端が水の出口となっていて、それが「お銚子」の口に似ているため、この名がつけられたとか。

ネット情報によると、こちらが本当の「日蓮乞水」だと書かれた古文書もあるとのことだが・・・。

鎌倉全体としては井戸の水質はあまり良くなかったと言われており、そのため、美味しい水の出る井戸は大切にされてきたようだ。




(12)名越大黒堂【9:49】

小さな祠だが大黒様が祀られている。両端に庚申塔などもあった。

大黒様(大黒天)は元はインドの神様だが、鎌倉時代から室町時代にかけて、現在のようなにこにこ顔の福相になり、神仏習合が盛んになるに連れ、神話の大国主神と結びついて、七福神の中の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった、とのこと。

(13)安国論寺【9:50】


(14)安養院【9:56】

(15)上行寺【9:58】

日蓮宗寺院で、癌封じの寺として知られているという。

(16)多数の石仏群【9:59】

多くの石仏が道に面した小さな一角にぎっしり詰め込まれていた。入口がどこにもなく、牢屋に閉じ込められているようで、ちょっと唖然とした。

(17)本覚寺【10:05】



(18)蛭子(えびす)神社【10:08】

明治の神仏分離によって、本覚寺にあったという夷三郎社(夷堂)がここに遷され、もともとこの地にあった七面大明神と宝戒寺にあった山王大権現を合祀して蛭子神社となったとのこと。

今日は予定通りここまでとして、その後鎌倉駅から帰宅した。

休憩を含めた歩行時間は、1時間47分だった。

 

二日間で出会った二枚のマンホールの蓋を以下に示す。

逗子市

海を表す波模様と市の木(つばき)、 それに都市(街区)をイメージするひし形を加え、中央に市章を配置。

鎌倉市

中央に市の花「リンドウ」が描かれている。

以上

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