旧東海道36_石部-草津(1)
◆旧東海道_石部-草津(1)
2019年6月12日(水)晴れ
土山宿から京都三条大橋までを3日間かけて歩いた。
今回は2日目で、2回に分けて掲載する。
以下、2日目の「その1」。
(1)石部宿駅前の交差点【7:47】
前日の終了地点を7:47に出発。
(2)西縄手【7:48】
東海道五十三次図
しばらく線路沿いの道を進む【7:56】
(3)長徳寺【8:23】
長徳寺の入口にある領界石。「従是東照領」と刻まれているようだ。
長徳寺にあった上野夜雨(かみののやう)の石碑
(4)道標【8:25】
「新善光寺道 是より一丁餘(余)」と書かれてある。
(5)福正寺【8:28】
(6)史跡 旧和中散本舗【8:30】
このあたりは宿場の間の休憩所である立場として栄え、道中薬を売る店があることで知られていたとのこと。和中散は、近くに滞在中の家康の腹痛を治して、この名前を与えられたとか。
次の写真の右半分は和中散本舗。左半分は大角氏庭園。
この向かい側が大角家住宅隠居所
(7)一里塚の石碑&梅の木の説明板【8:35】
民家に掲げられた昔風表札【9:37】
土山宿でよく見られたものに似ている。
(8)肩かえの松【8:47】
(9)手原醤油顕彰碑【8:55】
(10)東海道手原の道標【8:57】
この後、手原駅に立ち寄り小休止【9:01】
(11)古代建物群手原遺跡の碑【9:02】
手原駅前にあった。白鳳時代から平安、鎌倉前期にかけての遺跡群。
(12)東海道道標【9:15】
下に小さく「すずめ茶屋跡地」と書かれてある。
(13)足利義尚公 鈎(まがり)の陣所ゆかりの地【9:19】
隣に義尚に関する多数の歌碑がある。
室町時代末、権威の落ちた幕府にたてつく近江守護佐々木高頼を攻めるために、1487(文明19)年、足利義尚将軍が出陣してここに陣を張ったが、小競り合いを繰り返しているうちに、2年後陣中で25才の若さで病没。
(14)道標【9:32】
(15)道標【9:33】
(16)一里塚【9:40】
(17)目川立場田楽茶屋 元伊勢屋跡【9:44】
(18)田楽茶屋京伊勢屋跡【9:47】
(19)道標【9:55】
(20)史跡老牛馬養生所跡【9:56】
(21)道標【9:58】
この後は、その2に続く。
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