旧東海道21_白須賀-豊橋
◆旧東海道_白須賀-豊橋
2018年11月15日(木)曇り
見付宿(磐田)から吉田宿(豊橋)まで3日間かけて歩いたが、その3日目。(新居宿)-白須賀宿-二川宿-吉田宿(豊橋)と進んだ。
昨日到達した新居宿端の橋本西交差点を8:30にスタート。
(1)橋本西交差点【8:30】
(2)紅葉寺(もみじでら)跡【8:35】
室町将軍足利義教が紅葉を愛で、風景を賞したとされる場所。
街道の様子【8:38】
片側に松並木があり、旧東海道の風情が漂う。車もあまり通らない。
街道の民家【8:51】
情緒のある古い民家も残っているが、中央には「売土地」の無情な看板があるものも。
(3)常夜灯【8:53】
(4)白須賀宿火鎮神社の道標【8:59】
(5)白須賀宿潮見坂下の道標【9:18】
ここから少し急な上り坂「潮見坂(しおみさか)」が続く【9:20】
(6)おんやど白須賀【9:27】
急坂をのぼり切ったところにある施設で、平成13年の東海道宿駅開設400年を記念して作られたとか。
(7)潮見坂公園碑【9:31】
白須賀宿は元々は海岸近くにあったが、宝永4年(1707年)に発生した宝永地震と津波により大きな被害を受けたため、その後、潮見坂の上の高台にある現在地に移されたそうだ。
白須賀宿 潮見坂公園の道標
(8)鷲津停車場往還の碑【9:38】
この道標は、明治45年(1912)に建立されたもので、現在の東海道本線鷲津駅に至る道を示しているそうだ。
(9)曲尺手(かねんて)【9:39】
曲尺手とは見通しが利かないように、道の設計をジグザグにすること。「枡形(ますがた)」ということが多いが、ここでは「かねんて」というらしい。
(10)本陣跡【9:42】
(11)脇本陣跡【9:42】
(12)白須賀宿 問屋場跡の道標【9:43】
(13)夏目甕麿(なつめみかまろ)邸跡【9:46】
(14)白須賀宿の火防の表示板【9:47】
火防というからには塗り壁などの防火壁だと勝手に思っていたが、書かれている通り、常緑樹で火に強い槙が十本くらい植えられていた防火林だそうだ。
(15)白須賀宿 境宿の道標【9:54】
カッコ書きで白須賀宿加宿(かしゅく)と書かれている。
加宿は、人家が少なく人馬を出しにくい宿駅で、隣接する村を加え人馬の用を行わせたもの。この主となる宿駅に対して隣接する村を加宿と言った。
(16)高札場跡【9:54】
(17)成林寺【9:55】
(18)一里山七本松植樹【10:04】
国道1号線との合流地点にあった。
消火栓の蓋【10:34】
途中のバス停【10:37】
国道1号線をバスが通っていたので確認したら1日2本のみだった。
(19) 二川宿案内所【11:13】
1号線を外れ、ガード下をくぐると、旧東海道の雰囲気が残っている道にでる。最初に出てきたのがこの案内所。角には一里塚跡の石碑もあった。
一里塚跡
(20)二川宿案内板【11:16】
次項の駒屋の駐車場入口にあった。
二川八幡神社
前記案内板の向かい側。
街中の郵便局【11:18】
古いだるま型のポストがなければとても郵便局には見えない。
(21)江戸時代の商家 駒屋【11:18】
(22)二川宿の案内図【11:19】
(23)旅籠屋 中村屋【11:20】
(24)脇本陣跡【11:21】
(25)二川宿本陣資料館【11:22】
二川宿本陣を保存・公開するとともに江戸時代の交通をテーマとした博物館として平成3年にオープンしたもの。次のイラストはHPに示されたもの。
資料館に併設された旅籠屋「清明館」
本陣跡の石碑
本陣資料館
本陣資料館前の復元された高札場
西駒屋
本陣資料館の向かい側。
街道の風景。道の真ん中にある信号【11:28】
街道脇の店先【11:30】
(26)二川駅【11:37】
いったんここで駅の反対側に行き、国道1号線沿いの店で昼食。
国道1号線の歩道で見つけたマンホールの蓋【11:54】
TOYOHASHIの文字が見える。
(27)旧東海道クロマツ跡【12:52】
旧東海道松並木跡に残った最後の一本の松は、樹高 11m、幹周り 2.34m、推定樹齢 約150年の老木だったが、この木も朽ちて、ついに 2007年2月28日に伐採された。当時のクロマツをしのぶ記念碑。
これ以降、これといった史跡もなく、淡々と国道1号線を進む。
豊橋駅近くで1号線を外れてから、旧東海道は複雑に屈曲していて、途中で何度か迷った。
(28)東惣門【13:45】
(29)吉田宿問屋場跡【14:01】
(30)吉田宿本陣跡【14:05】
(31)松葉公園の交差点【14:12】
吉田宿の道標もあった。旧街道が直角に曲がる地点で、本日はここで終了とした。
その後、豊橋駅に行き戻った。
豊橋駅【14:20】
本日の歩行は、計5時間50分となった。三日目なのでさすがに少し疲れた。
想定通り豊橋市内の吉田宿にはめぼしい史跡はなかったが、白須賀宿と二川宿では昔の面影が感じられて、興味深かった。次回は知立宿まで進む予定。
以上
<全体のメインメニューは下記をクリック>



































































コメント
コメントを投稿