旧東海道15_丸子-藤枝
◆旧東海道_丸子-藤枝
2018年7月14日(土)快晴
由比から藤枝までを3日間かけて歩いたが、今回はその3日目。
丸子宿から藤枝宿(藤枝駅)まで歩いた。
静岡駅前7:18発(始発)のバスで出発。
(1)二軒家大鈩不動尊入口のバス停【8:00】
丸子宿はずれの二軒家大鈩不動尊入口のバス停からスタート。
(2)丸子紅茶の看板【8:06】
しばらく歩くとこんな看板があった。「日本の紅茶発祥の地_丸子紅茶」
明治時代、旧幕臣の多田元吉翁がインドから持ち帰ったアッサム種の原木を静岡市駿河区丸子に植え、国産紅茶発祥地として紅茶生産が始まったそうだ。
その後は海外からの輸入紅茶に押されて縮小してしまったが、地元農家が紅茶生産を途絶えさせまいと無農薬有機紅茶の製造を試みて成功させたとのこと。
(3)名残りの松【8:14】
旧道から1号線に出たところのコンビニ駐車場にあった。
(4)道の駅_宇津ノ谷峠(静岡側)【8:30】
ここでしばらく休憩。
道の駅内に展示されていた昔の宇津ノ谷峠の集落の模型
国道1号線を跨ぐ歩道橋【8:41】
宇津ノ谷峠に行くために通った。
(5)宇津ノ谷峠の民家【8:45】
歩道橋をおりるとすぐに旧街道らしい民家が表れた。
(6)宇津ノ谷の道標&案内板【8:48】
宇津ノ谷集落【8:49】
旧街道の面影を残した集落。道はブロック舗装がされていた。
(7)慶龍寺(けいりゅうじ)【8:51】
宇津ノ谷峠を越える旅人が、鬼に会わぬようお参りしたという延命地蔵尊を安置している。その延命地蔵尊は弘法大師作と言われているそうだ。
道標【8:56】
ここから先に進んだところで、うっかり道を間違えてしまった。下記地図の赤矢印の左折のぼり口を見逃してしまったのだ。迷走して青矢印のように進み、結局再び宇津ノ谷道標に戻ってしまった。
改めて集落内を歩き直して到達した上記赤矢印の「のぼり口」の標識が下記の写真
(8)道標【9:21】
中央にある小さな「のぼり口」の標識。その下部に左を差している赤矢印があるのだが、一見しただけでは分からない。しかも、そこまでの道はタイル貼りの整備された幅の広い道路だったので、「のぼり口」以降もそういう道が続くと思っていたのが間違いの元だった。
実際の「のぼり口」は、人がやっと一人通れるような、草が生茂った細い山道だった。
その山道をしばらく歩くと道幅は広くなり、次の写真のような道が続く。
山道のところどころに次のような説明碑がある。
峠の地蔵堂跡の石垣【9:29】
峠を越えて下りに入ると、途中から舗装路になる。
それが次の写真だが、これが非常に歩きにくかった。というのも、アスファルトの路面全体に薄っすらと苔が生えているような状態で、トレッキングシューズでも非常に滑りやすく、かなりゆっくりしたペースでしか歩けなかった。
道標【9:53】
ようやく下までたどり着いてしばらく歩くと見つけた道標。これも不気味に苔が生えまくっていて緑色。
(9)坂下地蔵堂【9:55】
(10)道の駅_宇津ノ谷峠(藤枝側)【10:04】
峠の前に入った道の駅とは、国道1号線の反対車線にあった。つまり、二つの道の駅は国道1号線のトンネルの両側にあり、宇津ノ谷峠越えはそのトンネル1本の間を抜けるためのもの。そう思うと現代のトンネルの効果は絶大。ここで再び休憩。
道の駅を出てからは、1号線に平行している旧道を岡部川に沿って歩く。
(11)岡部宿案内板【10:45】
(12)十石坂観音堂【10:46】
(13)柏屋資料館【10:55】
(14)内野本陣跡【10:56】
町おこし事業で綺麗に復元され、公園化されている。
(15)五智如来公園【11:13】
誓願寺の境内に安置されていた五智如来像を移し、公園として整備。
五智とは、全てを映し出す智(阿閦如来)、全ての存在を平等に見る智(宝生如来)、全てを正しく観察する智(阿弥陀如来)、全てを救う方法を知る智(釈迦如来)、他の四智をまとめる智(大日如来)だそうだ。
岡部の街並み。無電柱化されている。【11:14】
(16)松並木【11:19】
一日目に通った「細井の松原」はたった1本しか松がなかったが、ここはかなりの松が並んでいて旧東海道の面影を感じさせてくれる。
この後、通り道にあるスーパーのイートインコーナーで昼食。
(17)岡部宿の道標【11:52】
(18)従是(これより)西田中領の標識【12:09】
新しく作り直したもののようだ。
(19)鬼島の建場【12:25】
「建場(たてば)」は一般的には「立場」と書き、幕府公認の宿場と宿場の間の休憩施設・「お休み処」があったところで、発展すると「間の宿(あいのしゅく)」となる。
(20)藤枝宿の説明看板【12:48】
(21)藤枝宿の説明看板【13:06】
商店街のフラッグ【13:13】
藤枝宿を掲げているが、残念ながら旧東海道風の情緒は感じられない。
(22)藤枝宿の道標【13:17】
(23)蓮生寺(れんしょうじ)【13:17】
藤枝宿の福井氏が、熊谷次郎直実(法名・蓮生)を畏敬し、家財を投げうって建立したと伝えられている。
熊谷次郎直実(1141-1207)は、鎌倉時代初期、武蔵国熊谷郷(現・熊谷市)で活躍した武将。一ノ谷の戦いでは、平家の若武者、平敦盛を打ち取るが、息子ほどの年齢の若者の命を奪ったことによって戦の無情さや世の無常観を感じ、心に深い傷を負い、のちに出家した。この時のことは「平家物語」の中に描かれ、能や歌舞伎でも熊谷直実の無常観として上演されている。
その後、法然に弟子入りし蓮生(れんせい)と名乗り、京都・東山で修行を重ね、熱心な念仏信者となり、各地に寺院を開基している。
(24)藤枝宿の道標【13:33】
(25)上伝馬問屋場跡【13:35】
パーキングの看板に記載されている。何らかの石碑でもあると思い込んでいたので、通り過ぎてしまうところだった。
(26)一里塚跡と常夜灯【13:45】
(27)青木の交差点
ここで旧東海道から逸れ、藤枝駅に向かった。
途中で見つけた消火栓の蓋。
藤枝市の花・フジ、木・マツ、鳥・ウグイスのデザイン。
その後、藤枝駅に14:00に到着。今回の歩き旅はここで終了。
3日目の歩行時間は、休憩も含めて6時間強だった。
旧東海道といっても、四百年前の情緒が残されているところの方がはるかに少なく、そもそも昔はなかった舗装道路を歩くので、その意味では明らかに全く別物ではある。
しかし、昔の人が同じ経路を同じように自分自身の足で一歩ずつ歩き、周囲の風景をひょっとしたら同じような感慨を持って見ていたかもしれないと想像するのも、楽しいものだと再認識した。
なお、調べると、彼らは1日に35~40キロを毎日歩き、全行程を12日から15日で踏破していたらしい。実際に歩いてみて、それはとても我々が簡単に真似できない事だけはよく分かった。
今回の三日間は天気が良すぎて熱中症予防に気を遣った。550CCのペットボトルは1日に4本以上消費し、こまめに小休止をとった。
この続きは、少し暑さが収まってからにしたいと思っている。
以上
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