旧東海道13_蒲原-清水

◆旧東海道_由比-江尻(清水)

2018年7月12日(木)曇り

前回、6月8日、9日に沼津から蒲原まで歩いたが、その続きとして、今回は由比から藤枝までを3日間かけて歩いた。3日間で、休憩を含めての歩行時間は、合計18時間30分だった。以下、3回に分けて記録しておく。

宿場名でいうと、

  1日目は、由比宿-興津宿-江尻宿

  2日目は、江尻宿-府中宿-丸子宿

  3日目は、丸子宿-岡部宿-藤枝宿。

なお、この区間は静岡市からPDFマップが提供されていたので、参考にさせてもらった。

< http://www.city.shizuoka.jp/000_006731.html>

(1)JR蒲原駅を10時に出発。

駅近くにあった消火栓の蓋

纏(まとい)がデザインされたもの。左上の「蒲」のマークは、旧蒲原町の町章だったそうだ。

(2)由比宿の道標【10:10】

(3)由比宿東桝形跡【10:13】

(4)御七里役所の跡【10:14】

(5)由比本陣跡【10:17】

今まで見てきた本陣跡というのは、板塀に説明書きが掲示されている程度だったが、ここは公園として整備されていて、かなり立派で大きな建物だったことがよく分かる。

その外堀にカメが多数いた。後で調べたら、春にはこの公園でカメレースが行われているとか。

(6)清水銀行由比支店本町特別出張所【10:20】

洗練された様式の、大正期の地方における銀行建築の好例とのことで、登録有形文化財(建造物)。

(7)由比川橋脇の常夜灯【10:21】

由比川橋の欄干【10:22】

歌川広重『東海道五拾三次・由井』の浮世絵が描かれていた。(しかし、なぜ浮世絵では「由比」ではなく「由井」なのか?)


由比駅

(8)今宿の道標【10:41】

(9)由比駅前の派手な看板【10:42】

まるで大きな商店街の入口のような看板だが、周囲は人通りが全く感じられない田舎町の街道そのものであり、その妙な違和感が逆におもしろい・・・といったら失礼か?

(10)薩埵峠(さったとうげ)の入口【10:49】

(11)東海道名主の館「小池邸」【10:53】


(12)間の宿_本陣跡【11:06】


(13)小川の欄干【11:06】

(14)間の宿_藤屋(望嶽亭)【11:07】

西郷隆盛と会うため静岡を訪れた山岡鉄舟を、建物内の隠し階段や抜け穴を通して追っ手から海岸側に逃がしたという家。この家がなければ日本の歴史が変わっていたかも!

(15)一里塚跡と倉沢の道標【11:08】


ここから本格的に坂道になるが、次の写真のように項(17)の駐車場までは舗装されている。


(16) 薩埵山(さったやま)合戦場掲示板【11:25】

薩埵峠の道標

前項掲示板の向かい側にあり、海が見下ろせる。

(17) 薩埵峠山之神遺跡【11:28】

右側にあるのは「幸田文・文学碑」。幸田文(こうだあや)は、「露伴、漱石、鷗外」と並び称された作家である幸田露伴の次女で随筆家・作家。

後日調べたら、碑に刻まれていたのは随筆『崩れ』の一節。『由比の家ある風景をみると、その安らぎがあってほっとしたのだが・・<略>・・土よ、いつまでも平安であれ、と念じていた』 と刻まれている。

この碑が建てられたの平成18年(2006)1月には「由比地すべり対策事業」の起工式が行われており、「地すべり」への由比の人々の思いが込められた「幸田文・文学碑」だったそうだ。

舗装路はここまでで、後は山中の散策路になる。

散策路途中の東屋(あずまや)【11:36】

実は、当初の予定では、途中のコンビニで昼食を買ってきて、ここで食べるつもりだった。が!ここまでにコンビニは一軒も見当たらなかった。やむを得ず素通り。

薩埵峠の道標【11:43】

猛暑の平日でもあり、薩埵峠を歩いていたのは自分一人。会ったのは、駐車場にいた工事のおじさん一人だけで、他にはだれも会わなかった。

山道ではアゲハ蝶やクロアゲハ蝶などをよく見たが、道の両側にミカン類の畑が多くあったせいかもしれない。

優雅に蝶の舞う山道を、のんびりと一人歩き出来て爽快だった。(気温がちょっと暑すぎたが。)

(19)牛頭観音菩薩像【12:08】

山を下りて普通の道をしばらく歩くと、片側の擁壁(ようへき)の間に組み込まれたかのように、ひっそりと祀られていた。

<2022年12月20日 追記>

馬頭観音はよく見かけるがこれは牛頭観音。

馬頭観音はヒンドゥー教の神「ハヤグリーヴァ(馬の頭を持つもの)」が仏教に採り入れられて六観音の一つになったものと言われている。諸悪を懲らしめる力を象徴していて、煩悩を断つ功徳があるとのこと。

しかし、「馬頭」という言葉や、馬頭観音菩薩が頭上に馬頭を抱く姿もあることから、本来の教義から離れて、亡くなった荷役馬や農耕馬を供養するために建てられた。

牛頭観音という名の菩薩は仏教界には存在しないが、この牛頭観音像も飼育していた牛の供養塔として建てられたものと思われる。

(20)川越遺跡【12:10】

興津川沿いの公園に建てられていた。

旧国道1号線との合流地点【12:21】


(21)一里塚跡【12:32】

旧国道1号線沿いの民家の軒先。

(22)東本陣跡興津宿公園【12:38】

興津宿の道標【12:38】

(23)一碧楼水口屋跡(水口ギャラリー)【12:40】

江戸時代には脇本陣として、明治から昭和にかけては別荘旅館として、多くの著名人や文化人達が訪れたそうだ。

この後、道沿いのスーパーに入り、イートインコーナーで昼食を取った。

(24)清見寺【13:20】

(25)興津坐漁荘【13:22】

去年見学したので、今回は中には入らなかった。

https://yukkuriarukou.blogspot.com/2023/01/blog-post_90.html

(26)横砂延命地蔵尊【13:33】


(27)祖師ケ浦の道標【13:55】

(28)細井の松原【14:05】

昔は1000本あまりあった松も今はたったの1本のみ。それも、平成4年に植樹されたものだそうだ。写真の左が国道1号線で右が旧東海道。ちょうど真ん中にあるのがその松。


細井の松原の道標【14:05】

その後、清水駅前のファーストフード店でしばらく休憩し、最終目的地の新清水駅に15時に到着。本日はそこで終了。

歩行時間は、休憩も含めて5時間だった。

以上

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