旧東海道12_沼津-蒲原
◆旧東海道_沼津-蒲原
2018年6月8日(金)曇り、9日(土)晴れ
昨年の秋に箱根関所から沼津までを歩いたが、その続きとして、今回は沼津から蒲原までを歩いた。宿場名でいうと、沼津宿-原宿-吉原宿-蒲原宿。
8日は、沼津駅を9時15分に出発し、吉原駅に13時45分に到着。
9日は、吉原駅を7時15分に出発し、蒲原駅に12時15分に到着。
両日で、休憩を含めて、歩行時間は合計9時間30分だった。
(1)沼津城本丸跡 【9:26】
ここから、旧街道に入る。
(2)沼津宿の道標【9:32】
この道標は「夢舞台・東海道道標」というもので、2001年の東海道四百年祭の時に、 静岡県内22宿場への案内として随所に建てられたものだそうだ。さすがに17年前だけあって木製部分の痛みが激しい。
(3)出口町見付外【9:40】
これ以降、元は国道1号線だったという県道163号を、ただひたすら歩く。
旧東海道らしい雰囲気はまったくなく、めだった史跡もなく、単なる一般道の歩行で、さすがに面白みには欠ける。そこで、途中で、隣接する片浜公園をしばらく歩くことにした。ウォーキングとしては、絶対にこの方がおすすめ。
片浜公園の松林
海岸線には防波堤があったが、そこから見える景色が次の写真。砂浜の清掃が行き届いていないのが少し難点だが、展望はきれい。
旧東海道を歩くのが目的なので、しばらくして殺風景な県道に戻った。
(4)道標【10:22】
片浜駅の手前に古墳があったので、少し立ち寄った。
(5)神明塚古墳【10:40】
(6)道標【11:24】
(7)原宿の道標&高札場跡【11:25】
(8)一里塚跡【11:45】
字が消えかけていて読みづらいが、要するに、ここに一里塚があったと思われるが、現在は何もない、面影もない、ということが書かれている。
(9)道標【12:53】
前の道標に「間宿 柏原」と書かれてあったが、間宿(あいのしゅく)とは、宿場と宿場の間に出来た休憩のための施設で、宿場間の距離が長い場合や峠越えなどがある場合に、休憩のために出来たも。宿場としては幕府に公認されていないため、宿泊は認められていなかった、とのこと。
(10)道標【12:57】
(11)道標【13:01】
(12) 昭和放水路、増田平四郎碑、道標【13:06】
(13)道標【13:20】
この後、いささか天候が怪しくなってきたので、次の吉原駅で本日の街道ウォーキングは終了にした。(その後、本当に小雨が降り出してきて、夜中には落雷が轟いていた。)
翌日、吉原駅を7:15に出発。
(1)道標【7:19】
(2)道標【7:25】
(3)道標【7:29】
(4)名勝左富士【7:31】
東海道を東から西に行くとき、富士山 は普通は右手に見えるが、この辺りは松並木の間から左手に見えることから”左富士”と呼ばれているとのこと。
(5)馬頭観音菩薩碑【7:35】
(6)平家越えの碑【7:38】
1180年の源平の戦い『富士川の合戦』で平家軍が陣を構えた(と思われる)場所。
(7)東木戸跡&八坂神社【7:44】
この後、吉原本町通り商店街を通ったが、当日は、吉原祇園祭が行われるとのことで、多くの屋台が道の両側で開店の準備をしていた。
掲げられていたポスター
(8)間宿本市場【8:05】
道標には「吉原宿 西木戸跡 富士山村山道起点」とも書かれてある。
後日調べたら、村山道(むらやまみち)は、富士山信仰の拠点である村山の興法寺(現在の村山浅間神社)を東海道から目指すために、江戸時代後期に設定されたルートだそうだ。
(9)旧東海道跡の碑【8:07】
マンホールの蓋【8:17】
富士山と駿河湾の白波をイメージしたデザイン。浮世絵風の図柄が目を引く。
(10)道標【8:18】
(11)道標【8:19】
(12)蓼原(たではら)の道祖神【8:24】
民家の塀の間に挟まれていた。帽子をかぶった形はめずらしいと思う。
道祖神(どうそじん、どうそしん)は、害虫・疫病・悪霊などの災厄の侵入を防ぐ結界・村の守り神として、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られているもので、古事記にも登場する古い神様。別名を「さえの神」ともいい、地元の人たちは「袂(たもと)の塞神(さえがみ)」と呼んでいるとか。
(13)間宿本市場の標識【8:31】
(14)鶴芝の碑【8:34】
ここから眺めた冬の富士が、鶴が富士の中腹で舞っているように見えたことからこの名がついたとされている。京の画家蘆州が鶴を描き、江戸の儒者亀田鵬齋が賛を寄せたものを、文政3年(1820)に土地の人々が碑として建てた。
(15)道標【8:36】
道路の中央分離帯のところにあった。
(16)間の宿本市場の道標【8:39】
(17)一里塚の碑【8:41】
(18)札の辻跡の道標【8:45】
札の辻(さつのつじ)は、街道や宿場町など往来の多い場所に、高札(こうさつ:法令などを公示する掲示板)を立てた道や辻のこと。 アーケードの柱に貼り付けてあった。
(19)富士川の道標【8:57】
この裏側には「間宿本市場」と記されてある。
(20)道標と常夜灯【9:15】
常夜灯の前に「花立て」があるのは初めて見た。
(21)富士川渡船場跡【9:26】
富士川の手前にある水神社(すいじんじゃ)の入口にある。
隣に「富士山道」の碑があるが、富士山を目指すものは、ここで東海道からはずれ、富士山本宮浅間神社に向かったそうだ。
(22)富士川橋【9:34】
昔は渡船場から船で渡った場所。
富士川を渡ると、間宿岩淵。しばらくは道幅も狭く、旧東海道っぽい。
道脇の排水構の蓋
(23)秋葉山の常夜灯【9:41】
道筋にいくつかみられた。
(24)常夜灯【9:47】
(25)一里塚跡&間宿岩淵の道標【9:57】
(26)中之郷の道標【10:12】
(27)蒲原宿の一里塚跡【10:44】
案内板にも、一里塚としての当時の面影はまったくないと書いてあった。
(28)北条新三郎の墓【10:47】
北条新三郎は蒲原城の元城主。1569年に武田軍の攻撃にあい落城。
旧東海道から少し入ったところで、洗濯物の干してある民家の庭の横の細い道を登っていくと竹林の中にあった。ちゃんと花が供えてあった。
(29)東木戸、常夜灯、道標【10:52】
(30)馬頭観音供養石塔【11:42】
(31)塗り家造りの家【11:43】
塗り家造り(ぬりいえづくいり)は、なまこ壁が特徴的な旧商家の建物。
なまこ壁とは、壁面に平瓦を並べて貼り、「目地」と呼ばれるその継ぎ目の部分に漆喰をかまぼこ型に高く盛り上げて塗る、日本伝統の壁塗り様式の一つ。
写真では道路の反対側(左奥)にも同様の建物が見られる。
今回の行程のなかでは、このあたりが一番旧東海道の面影が感じられるところだった。
(32)本陣跡【11:45】
(33)旧五十嵐歯科医院の建物【11:49】
大正時代の洋館で、外観は洋風なのに内部は町屋造りの珍しい建物とのこと。
この後、蒲原駅まで歩き、今回はそこで終了とした。
1日目(沼津-吉原)は、単なる旧国道1号線歩きのようだったが、2日目(吉原-蒲原)は旧東海道の面影も感じられた。
JR東海道線だと沼津駅-蒲原駅間は30分。そこを9時間以上掛けて歩いたわけで、それなりにおもしろいウォーキングだった。
以上
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