旧東海道10_箱根湯本-箱根関所
◆旧東海道歩き旅(箱根)
2015年2月27日(金)快晴
日本橋から旧東海道の道を、少しずつ歩いてきたが、今回は、箱根湯本から箱根の関所までを目指す。
まずは「箱根湯本」の駅まで行き、本来の旧街道に戻るために、駅から300m位戻ったところにある、三枚橋交差点まで戻る。ここをちょうど10時にスタート。
バス道をしばらく歩くと石畳の脇道があり、標識が出ているので入る。(10時23分)
脇道をしばらく歩くと再びバス道に出るので、そのままバス道を進む。平日で観光シーズンでもないのにけっこう車の往来は多く、道の端を歩くのもちょっと怖い感じ。
葛原のバス停を過ぎると葛原坂(くずはらざか)の案内板が見える。(10時44分)
さらに歩くと「須雲川自然探勝歩道」の入口があった。
隣にきれいなトイレがあったので、ここでトイレ休憩。延々と上り坂なので、さすがに体も少し汗ばんできている。
旧東海道を歩く旅だが、今の旧街道バス道がすべて昔のルート通りではないようで、「須雲川自然探勝歩道」の一部も旧東海道を含んでいるとのこと。そもそも、最初に出来た街道は、自然災害などで何度も崩落して作り変えたらしい。したがって、今回はここからしばらくは「須雲川自然探勝歩道」を歩いた。
この看板がその「自然探勝歩道」入口。(11時02分)
自然探勝というだけあって、小川の中の飛び石や次の写真のようなところを通るなど、ちょっとした山道散策。
歩いたのは、次の地図の赤線部分で、しばらく進むと再びバス道に出る。が、ここで大失敗!!
本当はバス道の反対側にある緑色で示す道に入らなければならないのだが、バス道をそのまま道なりに矢印方向に進んでしまった。で・・はっと気が付くと再び「須雲川自然探勝歩道」の入口に逆戻り。
次の写真が、間違った方向にバス道を揚々と歩く姿!!(この時は間違っているとは知らないで写真を撮った。)
下の写真が前の地図の緑色に示す正しい「須雲川自然探勝歩道」の次の入口で、割石坂の標識もある。気を取り直してここまで戻ってきて山歩きを再開。(11時30分)
「これより江戸時代の石畳」という標識(11時34分)
これ以降こういう石畳がよくあるが、はっきり言って歩きにくい。石なんか敷き詰めない方がいいのにと思うが、そうしないと大雨で崩れたのかもしれない。昔の人はこんな歩きにくい道をワラジなんかでよく歩いたものだと思う。
「大沢坂」(11時45分)石畳がきれいだが、やはり歩きづらい。
ようやく畑宿に到着。写真は「本陣跡」標識(11時51分)
「箱根旧街道一里塚」の標識(11時55分)
「箱根旧街道」の標識(12時01分)
この後、近くにベンチがあったのでそこで昼食を取った。12時半ごろ再出発。
「甘酒橋」の標識(12時44分)
「猿滑坂」の標識(12時52分)
「追込坂」の標識(13時00分)ずっと上り坂で、時々長い階段もあるので、疲労がたまり始める。
次の写真は甘酒茶屋。ようやく到着(13時04分)
スタートからほぼ3時間経ったことになる。しかし、甘酒も飲まずに、もくもくと歩き続ける。
「箱根旧街道」の標識(13時13分)
ここからは少し道幅が広くなるが、あいかわらず石畳で歩きづらい。
途中、まだ時間も早いので、旧街道を外れて「お玉が池」へ向かうが、途中で引き返す。
ようやく上り坂の頂上付近に到着。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と書かれた箱根馬子歌の歌碑がある。(13時31分)
「権現坂」の標識(14時11分)
湖畔の杉並木を少し行くと、一里塚の標識があった。(14時24分)
日本橋から二十四番目の一里塚との説明あり。
ついに目的の箱根関所跡に到着(14時37分)
昔行ったころとは変わっていて、きれいになっていた。
途中で少し寄り道をしたが、合計で4時間37分の歩行時間となった。
その後、恩賜箱根公園を見学し、展望館から富士山を見ながら休憩。晴れてはいたが、富士山は雲が掛かっていてよくは見えなかった。
その後、元箱根港のバス乗り場まで戻り、湯本駅行のバスで箱根湯本に戻った。
オフシーズンの平日にも関わらず、バスはかなり混んでいた。
乗客の会話からは、七~八割は日本人ではなかったように思う。そんな中だと、何となく肩身の狭い思いを感じてしまうのは、私だけだろうか。
後は、箱根湯本駅近くの旅館に入りさっそく露天風呂に。但し、泊まった旅館の露天風呂は洗い場も屋外にあり、真冬の2月に入浴するにはいささか厳しく、ちょっと早めに引き揚げた。
今回の万歩計の値は「31、370歩」。
翌日は、せっかくなので小田原駅まで歩いていき、そこから電車で帰った。
以上
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