横浜「発祥の地」散策1
◇横浜「発祥の地」散策1
2023年2月17日(金)晴れ時々曇り
横浜市内には「発祥の地」といわれる場所が多くあるので、それを順番に回ってみた。
みなとみらい線日本大通り駅に9:25到着。
最初の「発祥の地」はこの駅の3番出口に向かう地下道の壁にある。
(1)近代下水道発祥の地【9:27】
(2)消防救急発祥の地【9:30】
横浜情報文化センタービルの駐車場の脇。
横浜では開港と同時に八つの消防組の民間消防隊が設置、1864 年には居留地消防隊が組織された。その居留地消防組が明治時代に屯所(とんしょ、本拠地)にしていたのがこの碑があった場所。
ポンプ車を備えた消防隊は日本で初めてと言われていて、1914 年には日本初の消防車、1933 年には日本初の救急車が配置されたそうだ。
(3)旧居留地消防隊地下貯水槽遺構【9:30】
前項の居留地消防組が使用していた施設で唯一現存するのがこの遺構。これは防火用の水槽で、1893(明治26)年ごろの建設と推定されているとのこと。
(4)近代のパン発祥の地【9:32】
残念ながら鏡面仕上げの為に碑文が非常に読みにくい。
碑文がネットにあったので、以下に示す。
「近代のパン発祥の地
一八五九年、欧米諸国との貿易がはじまるや、幕府は日本大通り五番地の横浜港郵便局を中心とするこの地区に、外国人の日用食品街「お貸し長屋」を建てた。その一角で、内海兵吉は一八六〇年、フランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。
当初は「焼き饅頭」のようなものができた。だが、これが現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである。パンの元祖「富田屋」として知られた。
その後、イギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が、登場する。ここで修行し、受けつぎ発展したのが内木彦太郎の元町「ウチキパン」で、イギリス流の山型食パンである。
現代日本の日常生活に根づくパン食文化「パン屋」が始まったこの地区に、横浜市中区制九〇周年を記念し「近代のパン 発祥の地」を設置する
二〇一六年十一月 設置者 横浜市綜合パン協同組合 全国パン協同組合連合会」
(5)神奈川運上所跡【9:34】
(6)横浜郵便発祥の地【9:41】
(7)吉田橋関門跡【9:52】
関内という地名がここからきていたのは知らなかった。
(8)トラファルガー広場のガス灯【9:58】
(9)近代街路樹発祥之地【9:58】
街路樹は、慶応3年(1867年)、横浜の馬車道沿道の各商店が競って店の前に柳と松を植えたのが始まり。明治5年には日本最初のガス灯も導入され(次項)、日本での近代的な街路樹の先駆となった。
(10)日本最初のガス灯【10:02】
隣は関内ホール。2018年9月にリニューアルオープン。
(11)西洋歯科医学発祥の地【10:04】
(14)航路標識管理所倉庫基礎【10:11】
(15)灯台発祥の地【10:18】
(16)鉄道発祥の地【10:27】
本町小学校の敷地内にあり、柵があって近寄れない。
次の写真は柵の上から撮った写真。
ネットに碑文があったので次に示す。
「日本ガス事業発祥の地
明治三年、高島嘉右衛門によって中区花咲町のこの地(当時の伊勢山下石炭蔵前)にガス会社が設立された。高島はフランス人技師アンリ・プレグランを招いて、明治五年九月二九日(太陽暦十月二十一日)、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りまでの間にガス街灯十数基を点灯した。これがわが国のガス事業の発祥である。
明治二十五年四月、横浜市瓦斯局となり、昭和十九年十一月東京ガス株式会社となった。
昭和五十九年十一月一日 寄贈 東京ガス株式会社」
何で「ガス事業発祥の地」というのがあるのか、来る前は少し疑問だったが、碑文を読んで納得した。(10)項にもある「ガス灯」のためだったのですね。全部「文明開化」でつながっていたということ。
(18)桜木町駅(北口)【10:40】
今回はここまでとした。
全体で1時間15分の散策となった。
次回は元町方面の「発祥の地」を散策する予定。
以上
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