投稿

3月, 2023の投稿を表示しています

横浜「発祥の地」散策まとめ

三日間にわたって横浜市内の「発祥の地」を回ったので、それぞれの「発祥の地」を種類ごとにまとめてみた。 A 文化・産業 1 近代のパン発祥の地 住所:中区日本大通7 内海兵吉がフランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。 年代:安政7年(1860年) 掲載:その1-(4) 2 我国西洋歯科医学発祥の地 住所:中区住吉町6丁目68 米国人イーストレイクが居留地で歯科診療所を開業。 年代:慶応元年(1865年) 掲載:その1-(11) 3 日本吹奏楽発祥の地 & 国歌君ヶ代発祥之地 住所:中区上野町3丁目122妙香寺の境内 薩摩藩洋楽伝習生(薩摩バンド)がフェントンのもとで 洋楽・吹奏楽の練習に励んだ。 年代:明治2年(1869年 ) 掲載:その2-(5) 4 麒麟麦酒開源記念碑 住所:中区諏訪町29キリン公園内 アメリカ人ウィリアム・コープランドが山手にビール醸造所を設立。 年代:明治3年(1870年 ) 掲載:その2-(6) 5 西洋瓦製造のはじめ (ジェラールの瓦工場と水屋敷跡) 住所:中区山手町75ー9 フランス人ジェラールがフランス瓦や煉瓦の製造を開始した。 年代:明治元年(1868年) 掲載:その2-(11)&(12) 6 我国塗装発祥之地記念碑 住所:中区元町1丁目77-12元町公園内 居留地の西洋人の建物にペンキ塗装を行う習慣によって横浜に技術が流入し、全国に広まった。 年代:寛永6年(1853年) 掲載:その2-(13) 7 機械製氷発祥の碑 住所:中区元町1丁目11ー1 日本で最初の機械製氷会社「ジャパン・アイス・カンパニー」が設立された。 年代:明治12年(1879年) 掲載:その2-(17) 8 クリーニング業発祥の地碑 住所:中区山手町 青木屋忠七が西洋洗濯業を始めた。 年代:安政6年(1859年) 掲載:その2-(22) 9 日本洋裁業発祥顕彰碑 住所:中区山下町84?5 英国人ミセス・ピアソンが居留地にドレス・メーカーを開店。 年代:文久3年(1863年) 掲載:その3-(1

横浜「発祥の地」散策3

イメージ
◇横浜「発祥の地」散策3 2023年3月9日(木)晴れ 横浜市内の「発祥の地」を順番に回ってみた。その3。 (1) 日本洋裁業発祥顕彰碑【9:38】 ネットに碑文が出ていたので以下に示す。 「 1863 年(文久 3 年)英国人ミセス・ピアソンが横浜居留地 97 番に ドレス・メーカーを開店したのが横浜の洋裁業の始まりである。その頃から 在留西洋夫人は自家裁縫のため日本人足袋職人・和服仕立職人を人仕事として雇い、 これにより婦人洋服仕立職人が育った。(後略)」 なお、神戸では、 1869 年(明治 2 年)に居留地 16 番地に英国人カペルが最初の洋服店を開業したので、神戸の東遊園地に「近代洋服発祥の地」の顕彰碑があるとのこと。 (2) 横浜天主堂跡【9:42】 (3) 西洋理髪発祥の碑【9:46】 (4) 日本で最初のフットボール(ラグビー)発祥地【9:53】 山下町公園の入口にあった。 ネットに碑文が出ていたので以下に示す。 「日本で最初の フットボール(ラグビー) 発祥地  横浜 1866 年 1 月 26 日、日本で最初のフットボール(ラグビー)クラブである横浜フットボールクラブ( YFBC )が、ここからほど近い山下町 127 番地でイギリス人を中心とする横浜在住の西洋人たちによって設立されました。ラグビー発祥の地、イングランドのラグビー・ミュージアムは、 このクラブを日本だけでなくアジアで最初のラグビークラブであるとも認定しました。(以下略)」 (5) 横浜関帝廟( よこはまかんていびょう)【9:57】 横浜中華街に住む人々の心の拠り所として親しまれているもので、祀られている主神は三国志の英雄として有名な実在の武将関羽(關聖帝君)。 武人としてだけでなく、帳簿を発明するなど、理財にも精通していたため、中国では「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰されているそうだ。 (6) 日本国新聞発祥の地【9:58】 碑文を次に示す。 「日本における新聞誕生の地 ここ、横浜の元居留地一四一番は、一八六四(元治元)年六月二十八日、ジョセフ彦が、「海外新聞」を発刊した居館の跡である。 彦は、リンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。リンカーンの民主政治が勃興期の米国の新聞の力に負うところ大なるを体得し、

横浜「発祥の地」散策2

イメージ
◇横浜「発祥の地」散策2 2023年2月28日(火)晴れ 横浜市内には「発祥の地」といわれる場所が多くあるので順番に回ってみた。その2。 (1) 山手町のバス停 9:22に到着。ここからスタート。 (2) 日本庭球発祥之地【9:29】 山手公園に入ってすぐのところにあった。 石碑の左右に太い釘のようなものがあり不思議だったが、帰って調べたら、この石碑自体が当時テストコートをならしていたローラ石だったらしい。 山手公園は、明治 4 年 (1871) に外国人専用のレクリエーションの場として作られたわが国初の洋式公園。 明治 11 年 (1878) になって近くの居留地に住む婦人たちがテニスクラブを結成し , 山手公園にテニスコートを作った。これを記念して、この場所が「日本庭球発祥の地」となったとのこと。 (3) テニス発祥記念館【9:30】 (4) 近代下水道記念碑【9:34】 鏡面加工の為に記載内容が非常に読み難いので、ネットに出ていた碑文を次に示す。 「旧横浜外国人居留地(関内・山手)では、近代的な下水道が明治 10 年代まで に整備されました。この山手公園沿いの桜道などには当時の石造下水管 (内法幅 0.6m 、高さ約 0.8m の防州石造の暗渠約 130m とこの碑の左側にはブラフ溝 (石造側溝)が、 100 年以上経た今日においても使われています。 この碑は横浜市の 下水管の総延長が、平成 7 年 11 月に 1 万 km に達したことを記念して、この地に建立 するものです。」 (5) 日本吹奏楽発祥の地&国歌君ヶ代発祥之地【9:43】 妙香寺(みょうこうじ)の境内にある。 ここは薩摩藩洋楽伝習生(薩摩バンド・サツマバンド)がフェントン(アイルランド生まれのイギリス軍楽隊員)のもとで洋楽・吹奏楽の練習に励んだ地でもあり、この地で初代「君が代」(礼式曲君が代)が生まれた。 (6) キリンビール発祥の地(麒麟麦酒開源記念碑)【9:50】 <2023年3月19日追記> テレビを見ていたら、吉永小百合さんが出ているビールのCMが目に留まった。 そこには「東京大学史料編纂所古写真研究プロジェクト提供」と書かれた 古いビール醸造所のセピア色の写真が表示されていて、そこにある建屋には 「SPRING VALLEY BREWE