横浜「発祥の地」散策2

◇横浜「発祥の地」散策2

2023年2月28日(火)晴れ

横浜市内には「発祥の地」といわれる場所が多くあるので順番に回ってみた。その2。

(1)山手町のバス停

9:22に到着。ここからスタート。

(2)日本庭球発祥之地【9:29】

山手公園に入ってすぐのところにあった。


石碑の左右に太い釘のようなものがあり不思議だったが、帰って調べたら、この石碑自体が当時テストコートをならしていたローラ石だったらしい。

山手公園は、明治4(1871)に外国人専用のレクリエーションの場として作られたわが国初の洋式公園。 明治11(1878) になって近くの居留地に住む婦人たちがテニスクラブを結成し, 山手公園にテニスコートを作った。これを記念して、この場所が「日本庭球発祥の地」となったとのこと。

(3)テニス発祥記念館【9:30】

(4)近代下水道記念碑【9:34】


鏡面加工の為に記載内容が非常に読み難いので、ネットに出ていた碑文を次に示す。

「旧横浜外国人居留地(関内・山手)では、近代的な下水道が明治10年代まで に整備されました。この山手公園沿いの桜道などには当時の石造下水管 (内法幅0.6m、高さ約0.8mの防州石造の暗渠約130mとこの碑の左側にはブラフ溝 (石造側溝)が、100年以上経た今日においても使われています。

この碑は横浜市の 下水管の総延長が、平成711月に1kmに達したことを記念して、この地に建立 するものです。」

(5)日本吹奏楽発祥の地&国歌君ヶ代発祥之地【9:43】

妙香寺(みょうこうじ)の境内にある。

ここは薩摩藩洋楽伝習生(薩摩バンド・サツマバンド)がフェントン(アイルランド生まれのイギリス軍楽隊員)のもとで洋楽・吹奏楽の練習に励んだ地でもあり、この地で初代「君が代」(礼式曲君が代)が生まれた。



(6)
キリンビール発祥の地(麒麟麦酒開源記念碑)【9:50】

<2023年3月19日追記>

テレビを見ていたら、吉永小百合さんが出ているビールのCMが目に留まった。

そこには「東京大学史料編纂所古写真研究プロジェクト提供」と書かれた古いビール醸造所のセピア色の写真が表示されていて、そこにある建屋には「SPRING VALLEY BREWERY/COPELAND PROPRIETOR」という看板が掲げられ、1870という設立年も表示されている。まさに、この開源記念碑に書かれている醸造所の写真であり、非常に驚いた。

(ちなみに、「SPRING VALLEY」という銘柄のビールのCM。)

(7)ビール井戸【9:54】

北方小学校の校庭にある。1895年(明治28年)からビール作りのために使用されたもの。


ネットにあった碑文を以下に示す。
「ビール井戸  この地に日本で最初のビール工場が建設されました。
いま校庭になっているところには清水のわき出る池があって、キリンビールが1888年からここでつくられていました。
そのころは横浜市の水道がまだここまで引かれていなかったので、井戸水を使って、ビールがつくられました。
この井戸も1898年から1901年までビールづくりに使われたものです。
1984年1月10日 寄贈 キリンビール株式会社」


(8)
捜真学院発祥の碑【10:01】

捜真(そうしん)学院とは、1886(明治19)、プロテスタントのアメリカ人宣教師シャーロット·A·ブラウンが設立したミッション·スクール。

(9)横浜バプテスト神学校発祥の碑【10:06】

バプテスト(Baptist、浸礼教会、しんれいきょうかい)は、バプテスマ(浸礼での洗礼)を行う者の意味に由来しており、キリスト教プロテスタントの一教派。個人の良心の自由を大事にする。

バプテストは17世紀頃にイングランド(イギリス)で始まった。アメリカ合衆国の宗教人口はプロテスタントが最も多いが、その中で最も多いのがバプテストとのこと。

(10)ブラフ溝記念碑【10:07】

ブラフ溝とは石造りの洋風側溝のこと。


(11)西洋瓦製造のはじめ(ジェラールの瓦工場と水屋敷跡)【10:12】


ジェラールが製造していたのはフランス瓦と呼ばれるもので、日本の瓦と違い、千鳥に葺いていく種類の瓦。瓦の裏面にある突起を桟に引っかけて葺いていくために、葺き土を使うことがなく、屋根が軽くなるという利点がある。急勾配の屋根をもつ西洋館に使われた。

(12)ジェラール水屋敷地下貯水槽【10:13】


(13)我国塗装発祥之地記念碑【10:17】

この一帯は開港によって外国人の居留地となり、西洋人の建物にペンキ塗装を行う習慣によって横浜に技術が流入し、ここから全国へ広まっていった。

但し、碑が立つこの場所が具体的な発祥の地ではなく、「横浜の」「しかるべき場所」に建設したということのようだ、とネットには書かれてあった。

(14)大正活映撮影所跡【10:15】

大正活映(たいしょうかつえい)株式会社は、横浜に存在した映画会社。19204月設立、1922年 製作中止、19275月解散。

横浜山下町に本社と撮影所を構え、無声映画を製作および配給した。ハリウッド俳優のトーマス・栗原と作家の谷崎潤一郎が関わったことで知られる。製作会社としては短命に終わったが、多くの人材を輩出した。



(15)
ジェラールの水屋敷【10:19】



(16)ウチキパン【10:23】

前回「発祥の地 散策1」の(4)「近代のパン発祥の地」の碑文にも書かれていたパン屋。明治21年(1888年)に「横浜ベーカリー宇千喜商店」として創業。

(17)機械製氷発祥の地【10:27】


碑文がネットにあったので記す。

「機械製氷発祥の地 開港から明治初期に至る時期, 横浜にはボストンや函館から切り出された天然氷を扱う会社がいくつも作られました。ホテルのレストランやアイスクリームサロンで氷が供されたという記録が残っていました。1879(明治12)年には,日本で最初の機械製氷会社「ジャパン・アイス・カンパニー」がこの地に設立され, その後オランダ人ストルネブリンクらによって永く経営されました。

設立当時の建物は関東大震災で倒壊したものの翌年には再建し, 1999(平成11)1231日まで, 株式会社ニチレイの子会社である神奈川日冷株式会社山手工場として, 再建当時の姿のままで稼働していました。」

平成11年までここに製氷工場があったのだが、現在は結婚式場になっている。

(18)横浜ボウリング発祥の地【10:31】


碑文にある通り、1864年(元治元年)横浜外国人居留地内に、長崎に次ぎボウリングサロンを開場したとのこと。

ちなみに、長崎には「わが国ボウリング発祥の地」の碑があり、それによると、日本最古のボウリング場は, 1861(文久元年)に長崎に開店したインターナショナル・ボウリング・サロンとのこと。

(19)フランス山の風車【10:38】

1896年(明治29年)、この場所にフランス領事館と領事官邸が建設され、井戸水を汲み上げるために風車が設置された。1909年(明治42年)頃まで存在していたという。この風車は、かつてを偲ぶモニュメントとして設置されたもの。

(20)レンガ造り井戸遺構【10:39】


(21)港の見える丘公園の展望台からの眺め【10:44】

左に横浜ベイブリッジ、右側に横浜港のコンテナークレーンが見える。

(22)クリーニング業発祥の地碑【10:49】


ネットに碑文があったので、以下に示す。

「クリーニング業発祥の地

安政六年 神奈川宿の人 青木屋忠七氏 西洋洗濯業を横浜本町一丁目現在の五丁目にて始め ついで岡澤直次郎氏 横浜元町に清水屋を開業 慶応三年脇澤金次郎氏これを継承し 近代企業化の基礎を成した

この間フランス人ドンバル氏 斯業の技術指導および普及発展に貢献された これら業祖の偉業を顕彰しこゝにクリーニング業発祥の地記念碑を建立する

昭和四十八年十月吉日 神奈川県クリーニング環境衛生同業組合 全国クリーニング同業者有志一同」

今回はここまでとした。全体で1時間20分の散策となった。

前回の経路とは違って、少しアップダウンのある公園が多くあって楽しめた。

以上

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