旧甲州街道20_茅野-下諏訪

◆旧甲州街道_茅野-下諏訪

2023年5月17日(水)晴れ

旧甲州街道の最後の区間である茅野と下諏訪の間を歩いた。

(1) 諏訪大社上社大鳥居【7:20】

(2)大年神社【7:25】

諏訪大社上社の末社(まっしゃ:神社本社に付属する小社で、本社の主祭神以外の神様をお祀りする社)

街道筋の民家

(3)葛井神社の標石【7:42】

葛井(くずい)神社はこの先の西180mにある。写真では右下に小さく鳥居が見える。諏訪大社上社の摂社(せっしゃ:神社本社に付属する小社で、本社の主祭神に関連のある神様をお祀りする社)の1つ。

(4)鍛冶小路の標石【7:42】


(5)
金剛寺跡【7:42】


(6)
標石&双体道祖神【7:46】

(7)塔所小路の標石【7:46】

(8)播磨小路の標石【7:48】

(9)御社宮司社(みしゃぐちしゃ)【7:49】

諏訪大社の神長官守屋家の守護神。

(10)頼岳寺標石【7:51】

(11)番匠川通りの標石【7:52】

(12)甲州街道渋沢小路の標石【7:53】

(13)架道橋【7:55】

(14)大門追分道標【7:58】

前はゴミ集積場所。どこかでも見た光景。一見の旅行者からみると残念な光景だが、民家の前だと難しいので、こうした場所が使われてしまうのでしょうね。

街道風景


(15)
常夜灯【8:02】

(16)火燈(ひとぼし)公園【8:06】


(17)頼重院(らいじゅういん)【8:09】


(18)常夜灯&双体道祖神【8:11】


(19)
神ノ木(ごうのき)神社【8:12】

(20)一里塚跡【8:15】


街道風景

(21)常夜灯【8:19】


街道沿いには旧街道らしい蔵造りの家が時々見られる。


(22)常夜灯【8:25】

街道風景


(23)
桑原城跡【8:44】

(24)石塔【8:45】

(25)足長神社【8:47】

(26)石塔【8:49】

(27)双体道祖神【8:52】

(28)石塔【8:53】

街道筋の蔵造りの建物

(29)常夜灯【8:56】

先端部が大幅に改修されているので、古いものなのか、最近作られたものなのかがよく分からない。

(30)双体道祖神【9:02】


(31)
大清水【9:14】


(32)かねさ呉服店【9:16】

明治27年に呉服卸業として諏訪市清水町に開業。

(33)銘酒真澄(宮坂醸造)【9:20】

寛文二年(1662)創業。


(34)十王堂跡【9:22】


橋から見える角間川。

街道筋の民家

(35)貞松院【9:27】



(36)酒ぬのや本金酒造(さけぬのやほんきんしゅぞう)【9:29】

創業は江戸時代後期の宝暦6年(1756年)。当初の屋号は「志茂布屋」(しもぬのや)。


(37)
上諏訪宿問屋跡【9:37】


(38)
精進湯跡【9:37】

記載されている概要は以下。
「少なくとも鎌倉時代には何らかの温泉の存在が知られれていた。貝原益軒が宝和6年(1709年)に書いた紀行文には「下の諏訪に温泉三処あり。上の諏訪に四所有。」という一文がある。武士や庶民が利用したほか「虫湯」は高島城の登城口にあって殿様も利用していた。蒸気を利用した「蒸湯」があったとみられる。」


<2023年9月8日 追記>
2023年9月1日に放送されたNHK「チコちゃんに叱られる」(22年7月9日放送の再放送)の中で、日本の風呂に関して次のような説明があった。
1.古代には今のようなお風呂の習慣は無く、海や川での沐浴(=水浴び)が一般的だった。
2.奈良時代中国から仏教が伝わると、病気を退け福を招くとして体を温めて身を清める入浴が勧められるようになり、お風呂に入るという習慣が浸透した。ただ、この頃のお風呂は、お湯につかるのではなく、お湯を沸かしてその蒸気を浴室に充満させる蒸し風呂スタイルだった。
3.現在のような浴槽に湯を張ってつかるという入浴スタイルは、詳しい事は不明ながら、恐らく鎌倉時代には湯船を備えた銭湯の原型のような物が既にあったと考えられている。

ということで、今回の「虫湯」という「蒸湯」は、当時としては一般的な風呂の姿だったようだ。

(39)
三村貴金属店店舗【9:39】

1928年(昭和3年)建造。木造2階建、鉄板葺。登録有形文化財(建造物)

(40)吉田のマツ【10:20】


(41)一里塚跡【10:21】


街道風景

(42)石仏石塔群【10:27】

(43)先宮神宮【10:36】




双体道祖神もあった。

街道風景

(44)大ケヤキ【10:48】


残念ながらゴミ集積場になっている。

(45)常夜灯【10:51】

街道風景

街道からの諏訪湖の眺め

街道風景



(46)
茶屋橋本屋跡【11:02】
旧甲州道中の茶屋跡で、殿様がお忍びで来られた部屋や、諏訪藩高島城より拝領のおひねりの松などがある。江戸時代後期から200年ほど経った建物。

(47)双体道祖神【11:02】

街道風景

(48)双体道祖神【11:09】

(49)山王竒五社神社【11:10】

後日調べたが詳細不明。


(50)島木赤彦の墓の案内【11:11】

島木赤彦は長野県上諏訪の生まれで、斎藤茂吉、土屋文明らと並ぶアララギ派の有力歌人として活躍。左千夫と長塚節なきあとは「アララギ」の編集責任者となった。

街道筋の蔵

(51)南信八名所石投場碑&明治天皇駐輦址碑【11:22】

街道風景


(52)
一里塚【11:31】

(53)若宮神社社標【11:34】

(54)旧承知橋の一枚板【11:39】


(55)分岐点【11:45】

(56)諏訪大社下社秋宮【11:45】










(57)番屋跡【11:59】

(58)綿の湯、問屋場趾、合流地点碑&合流地点の床タイル【12:00】








本日の歩行時間は、休憩を含めて4時間40分だった。

ようやく旧甲州街道の終点に達した。ひと段落。

その後下諏訪駅に向かった。

(59)下諏訪駅【12:03】




三日間で出会ったマンホールの蓋をまとめて以下に示す。

諏訪郡富士見町

スズランの群生地入笠湿原のスズランと、そこから見える富士山。止水栓ハンドホールの蓋のため普通よりも小ぶり。

諏訪郡富士見町

町の花スズランの花が3個擬人化されて描かれている。マークは町章。

茅野市

中央に市章、下水道の文字と市の花リンドウのデザイン。

諏訪市

市の花「あやめ」が描かれている。

諏訪市

「諏訪湖の花火」と「高島城」のデザイン。

魚が泳ぐ諏訪湖と高島城の石垣の中には「ミンナデキレイナ」の言葉が隠れており、「諏訪湖がさらにきれいになれば」という願いが込められているとのこと。

諏訪市

はしご車と消防士が消火しているデザイン。「防火貯水槽」「諏訪市」の文字。防火水槽の蓋。

諏訪郡下諏訪町

町章の周りを六分割し、町の花ツツジと花サクラを交互に配置している。受枠の模様が斜線模様。


諏訪郡下諏訪町

「諏訪大社秋宮」と「御柱祭」のデザイン。

7年に一度申年と寅年に行われる天下の大祭「御柱祭」は、直径約1メートル、長さ17メートル、重さ10トン以上にもなるモミの木を山から里へと曳き出す「山出し」と、神社までの道中を曳き、御柱を各神社の四隅に建てる「里曳き」が行われる。このマンホールは、下社山出しの代表的な場面である「木落し」をデザインしたもの。


以上

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