旧中山道44_番場宿ー高宮宿
◆旧中山道_番場宿-高宮宿
2024年3月10日(日)晴れ
番場宿から高宮宿の間を歩いた。
(1)米原駅【8:06】
米原は江戸時代には琵琶湖船運の要として繁栄を極めたそうだ。米原湊があったのは現在の米原駅付近。ネットにあった琵琶湖周辺の船運の地図を以下に示す。
米原駅からバスに乗り番場バス停に行く。
(2)番場バス停【8:18】
(3)中山道番場宿碑、道標【8:18】
(4)脇本陣跡【8:20】
(5)問屋場跡【8:20】
街道風景
(6)本陣跡【8:20】
(7)問屋場跡&明治天皇御小休止所碑【8:21】
(8)問屋場跡【8:21】
(9)蓮華寺寺標等石碑【8:23】
(10)法雲寺【8:24】
(11)直孝神社常夜灯【8:25】
街道風景
(12)鎌刃城(かまはじょう/かまのはじょう)跡道標【8:29】
(13)北野神社【8:32】
街道沿い入口の向かい側に「西番場碑」がある。
(14)地蔵堂【8:33】
街道風景
(15)称揚寺【8:35】
街道風景
(16)鎌刃城跡道標【8:37】
(17)本授寺【8:38】
街道風景
(18)中山道番場碑【8:42】
街道風景
(19)泰平水・地蔵堂【8:56】
(20)道標【9:02】
街道風景
(21)磨針一里塚跡【9:07】
(22)称名寺【9:09】
(23)神明宮【9:11】
街道風景
道標
道標
(24)磨針峠望湖堂碑【9:24】
(25)道標【9:26】
(26)分岐点&道標【9:29】
(27)彦根市モニュメント(旅人の像)【9:30】
(28)道標【9:31】
街道風景
(29)有川家住宅【9:36】
有川家は製薬業を営む商家。多賀大社の神託を受けて薬の調製販売を始めたという。宝暦9年(1759年)の建築で国の重要文化財(建造物)。
このあたりに多賀大社の鳥居があり、それが「鳥居本」という地名の由来とのこと。
街道筋にあった民家だが「デイサービスセンター」として使われているようだ。
(30)鳥居本宿説明板&岩根家住宅【9:40】
ここは本陣があった場所だそうだ。この向かい側が岩根家住宅。
(31)合羽所「木綿屋」【9:41】
(32)旧本陣寺村家【9:42】
(33)道標【9:42】
(34)旧脇本陣・問屋場跡高橋家【9:42】
(35)鳥居本駅【9:43】
(37)木製常夜灯【9:52】
(38)鳥居本交流館【9:53】
(39)専宗寺【9:56】
街道風景
(40)彦根道追分道標【10:00】
(41)道標【10:01】
街道風景
(42)小野こまち会館【10:10】
(43)地蔵堂【10:14】
街道筋の建物。納屋かと思ったらトイレだった。
(44)地蔵堂【10:15】
街道から見える名神高速道路
(45)鐘突堂跡【10:18】
(46)八幡神社【10:19】
街道風景
(47)六地蔵尊【10:22】
(48)小町地蔵&小町前茶屋跡【10:23】
(49)原八幡神社地蔵尊【10:30】
(50)森川許六遺路道標【10:33】
街道風景
(51)原八幡神社鳥居【10:34】
(52)道標【10:35】
(53)多賀大社常夜灯【10:38】
(54)春日神社【10:45】
(55)矢除地蔵堂&勝満寺【10:52】
(56)万葉歌碑【10:59】
(58)かどや跡【11:12】
(59)唯稱寺【11:15】
(60)中山道彦根道分岐道標【11:17】
街道風景
(61)多賀大社常夜灯【11:25】
(62)近江鉄道踏切【11:25】
(63)木之本分身地蔵尊【11:29】
(64)分岐点【11:32】
予定通りここで一旦終了。番場バス停からここまでの歩行時間は、休憩を含み3時間14分だった。
(65)高宮駅【11:35】
その後、ここから近江鉄道で「多賀大社」に向かい参拝した。<多賀大社参拝>
今回出会ったマンホールの蓋は以下。
旧米原町(まいはらちょう)
旧米原町の町章の中に町の花サツキと、 その周囲に町の木イチョウを配している。
彦根市
中央に大きな市章と小さな市章を幾何学的に複数配置し、外周にデザイン化した市の木「たちばな」をあしらっている。
市章は「彦根城」が金亀山(こんきやま)に立地していることから、亀甲をかたどっているそうだ。ちなみに彦根城城主の井伊氏の家紋が「彦根たちばな」。
以上
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