◆旧中山道_武佐宿-野洲
2024年5月31日(金)曇り時々小雨
武佐駅から野洲駅の間を歩いた。
(1)武佐駅【7:50】
街道風景
(2)若宮神宮【7:54】
(3)伊庭貞剛(いばていごう)邸跡【7:55】
(4)鎮火霊璽(ちんか れいじ)【7:58】
霊璽(れいじ)とは、神道に則って故人を家庭で祀る際に、その御霊を移す依り代となるもので、仏教における位牌に相当するもの。
近江八幡市は火伏の神の愛宕様信仰が盛んな土地。このような石碑は路傍の神として、道祖神的な、あるいは塞ノ神的な意味合いもあり、集落を守護しているそうだ。
(5)題目碑【8:11】
(6)道祖神?【8:12】
街道風景
(7)御墓墓標【8:13】
(8)住蓮坊首洗い池【8:15】
(9)御墓道標【8:17】
街道風景
(10)妙感寺道標【8:24】
(11)高野世継観音道標【8:24】
(12)高札場跡&八幡宮鳥居【8:28】
(13)分岐点【8:29】
街道風景
(14)地蔵堂【8:34】
(15)宝養寺【9:13】
(16)武佐宿説明板【9:16】
街道風景
(17)横関橋【9:23】
(18)町境標示板【9:25】
(19)分岐点【9:25】
街道風景
日野川(横関川)
(20)横関川渡し跡【9:31】
(21)獣害防護用柵【9:33】
(22)若宮神社【9:35】
街道風景
(23)水口道道標【9:43】
(24)分岐点【9:47】
(25)旅籠亀屋跡【9:50】
掲示板に表記されている「鏡の宿(かがみのしゅく)」は、近江国蒲生郡鏡山の北(現滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡)にある平安時代からの旧東山道の宿場(宿駅)。早朝に都を出た旅人の多くが最初の宿泊地とした。
江戸時代の旧中山道では武佐宿と守山宿の間の「間の宿」としての位置付けだったが、本陣(林惣右衛門則之家)と脇本陣(白井弥惣兵衛家)が設置され、参勤交代の大名や皇族などが休息に利用していたなど、事実上は宿場町の機能を有していた。
以降、多くの旅籠跡などの掲示がある。地図上では(26)項として表示する。
(27)鏡神社【10:04】
(28)道の駅「竜王かがみの里」【10:18】
(29)源義経元服の地【10:22】
(30)分岐点【10:26】
石仏群【10:27】
街道風景
(31)明治天皇聖蹟【10:29】
(32)愛宕大神【10:30】
(33)中山道説明板【10:31】
街道風景
(34)道祖神?【10:33】
街道のノンビリ横断者
(35)平宗盛公胴塚【10:36】
(36)道祖神【10:46】
(37)一里塚跡【10:47】
国道8号線に沿った脇道の民家の前。
(38)東池【10:48】
(39)浄勝寺【10:50】
(40)道標【10:52】
(41)愛宕大神?【10:53】
街道風景
(42)道標【10:55】
(43)大笹原神社社標【11:25】
(44)小祠&説明板【11:27】
(45)西池【11:30】
(46)道祖神?【11:35】
(47)愛宕山大神【11:40】
(48)道標【11:44】
(49)篠原神社&道標【11:46】
向かい側の道標
(50)長屋門【11:49】
(51)道標【11:49】
(52)地蔵菩薩(子安地蔵尊)【11:52】
(53)愛宕大神【11:53】
(54)桜生(さくらはざま)史跡公園(甲山古墳)【11:57】
(55)桜生公民館【12:06】
屋根に銅鐸のモニュメントが乗っている。新幹線敷設工事の際、付近で多数の銅鐸が出土したそうだ。
(56)分岐点【12:11】
(57)小祠【12:11】
(58)中之池地蔵尊【12:13】
(59)稲荷神社鳥居【12:19】
街道風景
(60)庄屋苗村邸跡【12:24】
(61)養専寺【12:24】
(62)暁酒造【12:25】
(63)分岐点【12:29】
予定通り今回はここまで。歩行時間は4時間39分。
本日出会ったマンホールの蓋は以下。
滋賀県蒲生郡竜王町
「町章」を「町の木(松)」で囲み、外周に 「町の花(アエンボ)」を配置したもの。「町章」の( )は「両山」と竜王の「り」を、 中央は竜王の「王」を図案化したもの。
旧滋賀県野洲郡野洲町
野洲町の歴史を象徴する「銅鐸」に見られる紋様をデザインしたもので、外周の“鋸歯紋”は 「外から内なる世界を守る」意味をもっている。中央の「町章」は、片仮名の「ヤ・ス」を図案化したもので、 中央に野洲川を配置し、円は町政の円滑化を図り、両翼に大きく飛躍しようとするもの。(2004年に野洲町は中主町と合併して野洲市となった。)
以上
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