旧水戸街道5_取手ー龍ケ崎

◆旧水戸街道_取手-藤代-龍ケ崎

2024年8月6日(火)曇り

旧水戸街道の取手から藤代宿を通って龍ケ崎まで歩いた。

(1)取手一中前バス停【7:38】

取手駅からコミュニティバスでここまで移動。

(2)消防署前交差点【7:42】

旧水戸街道はここからスタート

街道風景

田んぼの中の直線道路で、歩道もないのにけっこうクルマの行き来が多い。

(3)土橋【7:50】

橋の親柱には「相野谷川」「旧陸前浜街道」と書かれている。

「陸前浜街道」とは、現在の国道6号に相当する街道のうち、東京都荒川区から宮城県岩沼市までの区間に、明治時代初期に付けられた名称。

(4)道標【7:51】


(5)石仏群【7:52】


(6)道標【7:53】



(7)不動明王像【8:00】

写真の右側。一般に「お不動さま」と呼ばれ、煩悩にまみれた救い難い者を救い、邪(よこしま)な心を断つため、勇ましい出で立ちをしている。左側の石碑は?

(8)竣工記念碑【8:01】

(9)道標?【8:08】

街道風景

こんな道路標識は初めて見た。


(10)
道標【8:23】

(11)旧陸前浜街道踏切【8:27】



(12)
相馬神社【8:53】

(13)高蔵寺【8:53】

街道風景

側溝のコンクリート製の蓋に「茨」のマークが入っていた。

(14)藤代公民館【8:56】

藤代宿の本陣がここにあったそうだ。

街道風景

街道筋の眼科医院。かなり年代物の建物のようだが、詳細不明。


(15)愛宕神社【9:03】

別名「藤代オートバイ神社」。後日調べたところ、「オートバイ神社」は、いわゆるツーリングスポットやランドマークとして、全国各地を活性化する趣旨のもと、「一般社団法人 日本二輪車文化協会」が独自に設定するものだそうで、202210月現在、16のオートバイ神社が認定されているとのこと。宗教的な意味合いは無い。ここは茨城県初の「全国オートバイ神社」として20217月に認定されたそうだ。



街道風景

街角で見かけた個人宅の郵便箱。前に花立があり、何らかの石碑の転用?


(16)
市境標識【9:19】

(17)文巻(ふみまき)橋【9:19】


(18)分岐点【9:22】

街道筋の蔵

(19)竜ケ崎街道踏切【9:27】

ここの表記は「龍」ではなく「竜」となっていた。

後日調べたら、そもそも「龍ケ崎」と「竜ケ崎」の使用が混在していたので、平成8年度より市の公文書は「龍ケ崎」に統一された。しかしながら、「竜ケ崎」を個人及び法人が使用しても差し支えはないとのこと。



「龍ケ崎」という地名の由来には、1.竜巻が多い土地柄だったから 2.龍が降ってきた地の先にあるから 3.町の形が龍を思わせるから 4.龍崎氏が治めていたから などがあって確固たる定説はないとのこと。

(20) 要石建立由来之碑【9:28】

後日調べたら、昭和16年の大水害後に「惨害を繰返さぬよう渡良瀬川上流桐生市地先河畔より由緒ある石を採取要石と銘名建立」と由来が記されている。とのこと。

街道風景


(21) 決潰口の跡【9:34】

(20)と対になっている碑。

(22) 飯島つる子の碑【9:36】

飯島つる子は明治中期、龍ケ崎市根町の生まれ。農村がまだ貧しかったころ、飯島和裁学校を開き、付近の若い娘達を集め、無報酬で裁縫を教え、女性の自立を促したと言う。その死後の昭和二年に、その偉業を讃え、飯島和裁学校の卒業生達が協力し合ってこの記念碑を建てたと言う。

(23)分岐点【9:40】

旧水戸街道はここまでとし、左折して龍ケ崎市駅に移動した。

ここまでの歩行時間は、休憩を含みちょうど2時間だった。

(24)龍ケ崎市駅【9:47】


途中で出会ったマンホールの蓋を以下に示す。

茨城県取手市

マンホール蓋中央は「取手地方広域下水道組合」の組合章で、水面(みなも)をイメージしたもの。周りを設立当時の市町村の花で飾っている。 取手市の「ツツジ」は緑の豊かさにふさわしい花として、旧藤代町の「フジ」は薄紫色が未来に夢を託す虹色の一つであること、旧伊奈村の「菜の花」は小貝川沿い一面を黄色に染める様が人に元気を与え、明るく未来に伸びるという理由で制定された。「人と水の明るい未来のための下水道」という願いをこめてデザインされたもの。


茨城県龍ケ崎市

龍ケ崎市の牛久沼の背景に筑波山をデザインし、龍ケ崎市のシンボルである市の木(松)・花(桔梗)・ 鳥(白鳥)を盛り込んだマンホール蓋。

以上

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