旧水戸街道4_我孫子ー取手

◆旧水戸街道_我孫子-取手

2024年9月4日(水)曇り時々晴れ

旧水戸街道の取手から我孫子まで歩いた。

通常は江戸から水戸方面に向かって歩くのだが、今回は逆に取手から我孫子に向かって歩いた。ただ、本記録に関しては今までと同様に通常の方向での記載とするので、写真の撮影時間は繰り上がっていく形になっている。


(1)我孫子駅【12:30】

(2)我孫子ゆかりの文化人の碑【12:29】

ここに書かれているのは以下の人たち。
柳田邦夫、岡田武松(気象学者)、中野治房(植物学者)、武者小路実篤、柳宗悦(哲学者)、加納治五郎、杉村楚人冠(ジャーナリスト)、バーナード・リーチ(陶芸家)

(3)駅前交差点【12:26】

ここから旧水戸街道になる。

(4)水神社【12:24】

民家の庭先にあった。真ん中には「水神社」の文字が読めるが、左右の文字は判読不能。

(5)従是子神道碑【12:20】

「子神社(ねのじんじゃ、ねじんじゃ)」への道標だと思われるので調べたら、近くの我孫子市寿二丁目に、大黒天を祀っている「子之神大黒天延寿院」があり、これはその道標のようだ。そこは寺院なのに鳥居があり狛犬も鎮座している珍しい神仏習合のお寺とのこと。



「子之神大黒天延寿院」では10月に柴燈護摩火渡り(さいとうごまひわたり)が行われるそうで、それは、炎で煩悩を焼き尽くし、その火を渡ることにより、五穀豊穣、厄払い、無病息災などを祈願するもので、お札や護摩木を燃やした「おき火」の上を山伏姿の僧侶が呪文を唱えたのちに裸足で歩くもの。(一般の人も火渡りに参加できるようなのだが・・・・)

(6)我孫子宿本陣跡【12:19】


(7)旧名主小熊邸【12:18】

小熊家は我孫子宿の名主で、この茅葺屋根の母屋は、天保2年(1831年)に築かれたもの。我孫子宿の脇本陣だったそうだ。ちょうど屋根の修理中だった。


(8)水戸道・成田道追分石碑【12:09】



(9)浜街道踏切【11:53】


(10)分岐点(泉交差点)【11:42】

(11)分岐点【11:38】

(12)分岐点【11:28】

(13)柴崎神社&円福寺寺標【11:25】



街道筋の立派な日本家屋。

(14)分岐点【11:16】


(15)分岐点【10:56】

(16)分岐点【10:54】

(15)と(16)の間は、次の写真のような歩道のない片側一車線の道路で、距離は短いが大型車もけっこう走っていたので、いささか緊張した。

大利根橋

(17)歩道橋【10:37】

ガード下の壁画


(18)新六本店【10:10】

創業明治元年の奈良漬け製造販売元。寛政の頃には酒造業を営み、その後文政には廻船問屋を行っていたという。明治にいたって試しに造った奈良漬けが評判となり、その製造販売を開始。


 (19)長禅寺&大師公園【10:07】

ここに書かれているのは、駅前の(2)「文化人の碑」とは異なる人々。

本多重次(家康に仕えた武将)、小林一茶、広瀬誠一郎(明治期の実業家)、観覚光音禅師(江戸期の禅師)、沢近嶺(江戸期の学者)、小川芋銭(日本画家)、菊池幽芳(作家)、坂口安吾、正岡子規、高村光太郎、平塚らいてう。

街道風景

(20)取手宿本陣 染野家住宅【10:02】



(21)八坂神社【10:00】

(22)浄土宗取影山念佛院寺標【9:57】

(23)分岐点【9:54】

(24)水戸街道道標【9:50】


(25)阿夫利(あふり)神社【9:49】

神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社の分神とのこと。



街道風景

(26)分岐点【9:38】

(27)八幡神社【9:36】

街道風景

(28)水戸街道道標【9:28】

(29)消防署前交差点【9:26】

旧水戸街道はここまで。

(30)取手一中前バス停【9:23】

ここからコミュニティバスで取手駅へ。

(31)取手駅【9:00】

今回の歩行時間は休憩も含めてちょうど3時間半だった。


途中で出会ったマンホールの蓋を以下に示す。

千葉県我孫子市

市の南に位置する「手賀沼」と、市の鳥「オオバン」、市の花「ツツジ」、をデザインしたもの。

千葉県我孫子市

青空に白い雲と赤い熱気球のデザイン。市章入り。

以上

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