旧北陸街道3_魚津ー滑川
◆旧北陸街道_滑川-魚津
2024年10月15日(火)曇り
旧北陸街道の歩き旅の第一日目。今回は滑川から魚津まで歩いた。
(1)滑川駅【13:07】
(3)櫟原神社(いちはらじんじゃ)禊場(みそぎば)【13:16】
神道では、心の汚れや罪を「穢(けが)れ」と呼び、その「穢れ」を落として心身を清めるために水浴を行う場所が禊場。多くの神社には独自の禊場が備わっており、昔はほとんどの神社が近くの川を禊場としたとのこと。
街道風景
(10)六字名号塔【13:55】
石碑には「南老阿彌陀佛」と彫られてあるのだが、後日調べたらこれは中国語で、日本語の「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」の事だそうだ。
上記写真の左隣にあるのは、明治期の出征軍人の墓碑。こうしたりっぱな墓碑が、街道筋に少なくとも十基以上見られた。しかも碑文を確認した物は、すべて「二等兵」「曹長」等の一般兵士のもので、将校のものではなかった。地元から出征して戦死した兵士の家族が建立したもののようだ。明治初期には、少なくともこの地域では、彼らの戦死がかなり名誉なことだと、とらえられていたのだろうか?
(11)明治天皇追分御小休止所碑【13:56】
(12)仏塔?【13:58】
上から「隺來」という文字が読めるので、後日調べたら、これで「つるぎ」と読んで、石川県がルーツの名字とのこと。ということは墓碑?
(17)早月橋【14:20】
(18)魚津水族館【14:29】
(19)分岐点【14:39】
この細い道が旧北陸街道。すぐに遊園地の敷地になって先は消えている。
(21)仏碑【14:41】
(22)小祠【14:43】
(24)分岐点【14:50】
魚津南港
街道風景
(28)道標【14:59】
(29)角川橋【15:00】
(33)魚津城跡【15:13】
廃校となった旧大町小学校跡に碑文等があるとのことで、校門から中に入るのだが、校門には何の案内もなく、いささか戸惑った。(自由に中に入れることは、事前に魚津市役所に確認済)
日本海
(39)魚津神社【15:44】
街道風景
(40)上村木交差点【16:04】
本日はここまで。その後魚津駅に移動。
ここまでの歩行時間は、休憩を含み2時間57分だった。
途中で出会ったマンホール蓋は以下。
富山県滑川市
富山県魚津市
「うおづ おすい」の文字、そこから放射状に市の花:カノコユリが描かれている。
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