旧北陸街道4_滑川ー富山

◆旧北陸街道_滑川-富山

2024年10月17日(木)曇り時々晴れ

今回は滑川から富山まで歩いた。

(1)分岐点【7:37】

ここから旧北陸街道をスタート


富山湾


(2)馬頭観音等【7:42】


(3)和田古戦場趾【7:43】
このあたりは和田の浜と呼ばれる戦国時代の古戦場だったそうだ。秀吉が越中を攻めたときこの浜から上陸したという伝説もあるとのこと。

(4)宿場回廊説明板3【7:43】
滑川市では「なめりかわ宿場回廊めぐり」を行っているとのことで、こうした説明板が周囲にいくつもある。


街道風景

(5)櫟原(いちはら)神社、宿場回廊説明板4【7:49】





(6)宿場回廊説明板5【7:54】


(7)明治天皇滑川町御小休止趾【7:55】



(8)中町会館【7:56】
旧鷺山医院とのことで、大正から昭和初期の建物。

(9)長福寺【7:57】

街道風景

(10)宿場回廊道標【7:58】

(11)宿場回廊説明板6【8:00】



(12)宿場回廊説明板7&滑川本陣跡【8:03】



街道風景

(13)廣野家住宅主屋&廣野医院【8:09】





(14)橋場【8:10】


(15)宿場回廊説明板9【8:12】


(16)旧宮崎酒造【8:14】


(17)菅田家住宅【8:14】


(18)養照寺【8:17】



(19)分岐点【8:19】


(20)立山・大岩道しるべ【8:23】


街道風景

(21)加積雪嶋(かづみゆきしま)神社【8:24】


街道風景



(22)勇者の碑【8:34】

(23)六字名号塔【8:37】

(24)加茂神社【8:37】

(25)海洋高等学校跡【8:39】

街道風景

(26)魚躬橋(うおのみばし)【8:42】
1647年(正保4年)の越中道記には「上市川に橋有り、長さ二十間、幅二間、高さ1丈、水深四、五尺」とあるそうだ。




(27)市境標識【8:47】


(28)八幡神社【8:51】

(29)石碑【8:55】

(30)一里塚【8:56】




街道風景

(31)石碑【9:05】


(32)金比羅神社【9:10】


(33)水橋神社【9:12】
かなり読み辛いので、ネットにあったものを次に示す。




(34)六角堂【9:17】



(35)水神社【9:35】


(36)東西橋【9:36】


(37)天満宮【9:43】

(38)水橋漁港【9:45】



(39)分岐点&小祠【9:56】
旧北陸街道は、ここで南下して富山城下を経由して小杉に行く道と、このまま西に向かって岩瀬から小杉に行く道とに分かれる。今回は富山城下を経由する道を進んだ。


(40)高麗社【9:57】

(41)小祠【10:00】

(42)荒町バス停【10:02】
この先しばらくは土地の区画整理が進んでいて旧街道は残っていないので、次項のバス停までコミュニティバスで移動した。

(43)神保新町バス停【10:47】

街道風景
しばらく常願寺川に沿っての移動なので、最初は堤防上の道を進んだ。しかし、歩道がない片側一車線の道で、脇をかなり多くの車がすり抜けていくので、危険を感じて堤防下まで降りて、川沿いの道を歩いた。


(44)常願寺大橋【11:03】


(45)親鸞聖人腰掛松の史跡【11:07】




街道風景

街道の真ん中で日向ぼっこしていた珍客

(46)報光寺【11:58】

(47)高架橋【12:00】

(48)小祠【12:49】

(49)石碑【12:55】

(50)稲荷神社【12:59】

(51)全福寺【13:08】



(52)明治天皇町新庄御小休止趾【13:10】


(53)金岡邸(薬種商の館)【13:11】




(54)覚性寺【13:14】

(55)分岐点【13:18】
旧北陸街道はここで一旦終了。本日の歩行時間は、休憩やバス待ち時間を含めて、5時間41分だった。

(56)東新庄駅【13:19】


途中で出会ったマンホール蓋は以下。

富山県富山市
白岩川に架橋する東西橋<項(36)に記載>を背景とした、水道橋まつりの雄大な花火が描かれているもの。

富山県富山市
立山と雪のデザインで、受枠に市の花「あざみ」が描かれている。

富山県富山市
薬都富山にふさわしいデザインとして、根が薬用として用いられる草花 「あざみ」をデザインしたもの。「あざみ」は、昭和48年3月5日に、市の木「けやき」、市の草木「つばき」とともに選ばれたそうだ。
以上

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