旧水戸街道11_長岡ー水戸
◆旧水戸街道_長岡-水戸
2024年9月27日(金)曇り時々晴れ
旧水戸街道の最後の区間、長岡宿から水戸まで歩いた。
(1)長岡坂下バス停【8:14】
(2)県道長岡水戸線交差点【8:16】
前日の終了地点。ここからスタート。
(3)高岡大明神【8:21】
(4)木村家住宅【8:24】
木村家は、文化5年(1808)以降、長岡宿で藩主等の休泊所を管理する御殿守(ごてんもり)の代わりを務めていた。現在の家屋は、安政4年(1857)の長岡の大火で焼失した直後に建て替えられたものとみられ、平成18~20年(2006~08)にかけて本格的な保存修理がなされたものだそうだ。
街道風景
(7)跨道橋【8:51】
北関東自動車道を横断する。
交差点には「牛馬頭観世音」と書かれた石碑が壊れたまま置かれていた。後日確認したら、2022年2月のストリートビューにも同じように倒れた形で写っているので、少なくとも二年半前からこの状態のようだ。
街道風景
(17)石塔?【10:15】
民家の敷地内にあり、何が書かれてあるのかよく分からない。
(18)道路横断部分【10:17】
旧水戸街道はこのまままっすぐなのだが、写真のように国道235号を横断することが出来ないため、近くの交差点まで迂回した。
街道風景
(21)車丹波守憤恨の地【11:01】
関ヶ原の戦いの後、佐竹義宣は常陸国54万石から出羽秋田20万石に減封の上領地替えになった。家臣だった車丹波守斯忠はこれに猛反発し、水戸城を奪還しようとして徹底抗戦するが失敗。慶長7年(1602年)7月、捕縛されてここで磔刑に処されたと言われている。
(23)金比羅神社【11:17】
街道風景
江戸街道(えどかいどう)と呼ばれる街道・道路は日本全国に存在する。本来、街道は行き先の名称を冠したため、目的地の地名をとってそれぞれの地元では単に「江戸街道」と呼ばれる。この石碑の江戸街道は水戸街道を指す。
(25)高札場跡(銷魂<たまげ>橋)【11:21】
以降は、狭い範囲に集まっているため、地図上では(26)として一括表示する。
旧水戸街道終点交差点【11:36】
能化稲荷神社(のうけ いなり じんじゃ)
水戸二代藩主徳川光圀公ゆかりの神社とのこと。平成14年に再建、整備されたもの。
本日の歩行時間は、休憩を含み3時間22分だった。
途中で出会ったマンホール蓋は以下。
茨城県水戸市
市の木「うめ」をデザイン。上部に水戸市の市章(水戸市の「水」を図案化したもの)
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