旧日光街道12_石橋宿ー宇都宮宿

◆旧日光街道 石橋宿-宇都宮宿

2024年12月8日(日)晴れ

旧日光街道の石橋宿から宇都宮宿間を歩いた。

(1)石橋交差点【8:04】

前日の終了地点。ここから旧日光街道歩きを再スタート。

街道筋の家屋


(2)開雲寺【8:05】

徳川家の家紋「三つ葉葵」が掲げられていたが、後日調べたら、この寺は徳川将軍家の日光東照宮参拝道中の休憩所とされたお寺だそうだ。

(3)馬頭観音、他石塔群【8:14】

街道風景

(4)町名標識【8:28】

街道風景

(5)鞘堂(さやどう)地蔵尊【8:35】



(6)星宮神社【8:39】

保護の為だとは思うが、全体に鉄板を張って中が真っ暗なのは、いささか・・・

(7)市境標識【8:42】


(8)市境標識【9:09】

(9)茂原正観音道道標【9:14】

(10)題目碑【9:17】

(11)陸上自衛隊宇都宮駐屯地【9:22】

街道風景


(12)雀宮(すずめのみや)本陣跡【9:58】


(13)旧仮本陣芦谷家建物・高麗門【10:00】
芦谷家は,江戸時代に名主兼問屋を営み,雀宮宿の本陣と脇本陣を補助する仮本陣としての役割を担っていた。明治14年の明治天皇の東北巡幸に際しては,小休所として利用されたそうだ。



(14)仏塔【10:06】

(15)雀宮神社【10:07】
宿場町名の由来となった神社。雀宮(すずめのみや)という名前は、この神社にまつられている武将が「しずめの宮」と呼ばれたためという説や、昔、雀に命を助けられた人が恩返しのためにこの神社を建てたという説などがあるそうだ。


街道風景


(16)寿鶴(すず)薬師堂【10:44】

(17)菅原神社【10:48】


街道風景


(18)スバル航空宇宙カンパニー入口【11:45】
車のスバルがなぜ航空宇宙かと思ったが、考えてみれば、そもそも中島飛行機という会社から生まれた会社なのだから不思議はない。




(19)くんぺい公園案内板【11:54】

かなり色褪せていて何が書いてあるか分からないが、「くんぺい」は宇都宮市出身の江戸時代の国学者である蒲生君平(がもうくんぺい)のことで、「くんぺい公園」は(22)にある。

(20)不動堂【11:56】



(21)架道橋【12:01】

(22)蒲生君平(がもうくんぺい)勅旌(ちょくせい)碑【12:02】
勅旌碑とは、明治天皇の勅命により明治維新に貢献したことを広く郷里に表すために建てられた碑のことだそうだ。
蒲生君平は、当時所在が分からなくなっていた古代天皇陵を調べて考証し、「山陵志」に古墳の形を表す「前方後円」という言葉を始めて使用した学者とのこと。




(23)子安地蔵尊【12:08】

(24)西原山台陽寺【12:09】

(25)一向寺旧地蔵寺参道寺標【12:10】

(26)熱木(ねぎ)不動尊【12:16】


(27)神明宮【12:19】

(28)一向寺【12:22】

(29)天満宮【12:23】


(30)木戸跡【12:32】



(31)材木町説明板【12:34】



(32)追分道標【12・:44】

(33)弥勒堂【12:45】

(34)蔵造りの商家【12:45】

(35)追分一里塚【12:47】


(36)琴平神社【12:50】



街道筋の古民家。廃屋のようだった。


(37)勝善神(そうぜんしん)【13:04】
普通の「馬頭観音」が馬の安全や健康を祈ったり、死馬の冥福を祈ったりするものであるのに対して、「勝善神」は、主として馬産地において名馬の誕生を祈願する意味の強い信仰の碑。とのこと。


(38)栃木医療センター前バス停【13:21】
本日は予定通りここまでで終了とした。
本日の歩行時間は、途中の休憩時間も含めて、5時間17分だった。

今回出会ったマンホールの蓋は以下二点。

宇都宮市
全体に市の木イチョウをデザインしたもの。中央に宇都宮の市章と「下水」の文字。受枠にV字模様。市章は、かっての宇都宮城(亀が丘城)にちなみ、亀甲形と宇都宮の宮の字を図案化。

受枠にV字模様がないものもあった。

宇都宮市
消防車と放水中の消防士をデザインした円形消火栓蓋。上に宇都宮市水道徽章、左右と下に 駐車禁止、消火栓の文字。

以上

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