旧奥州街道4_佐久山宿ー大田原宿

 ◆旧奥州街道 佐久山宿-大田原宿

2025年2月10日(月)曇り時々晴れ

旧奥州街道の喜連川宿の端から佐久山宿を経て大田原宿の前まで歩いた。


(1)フィオーレ北 バス停【9:20】

(2)菖蒲沢公園入口交差点【9:22】

昨日の終了地点。本日の旧奥州街道歩きはここからスタート。

街道風景


融雪剤が一定間隔で準備してあった。


(3)石仏・石塔群【9:39】
墓地なのだが、いくつかの墓の横には、古い石仏・石塔が集められている。

(4)庚申塔群【9:40】


(5)馬頭尊【9:43】

街道風景

(6)仏塔?【9:48】
記載内容が判読出来ず、詳細不明。


街道風景


(7)長屋門【9:59】



(8)曽根田交差点【10:03】

(9)双体道祖神&天皇御小休止碑【10:04】


街道風景


(10)道標?【10:14】


(11)明治天皇御休輦之處碑【10:20】

街道風景


(12)ほほえみ仏【10:38】


(13)市境標識【10:39】

(14)武藤酒店【10:42】
江戸時代後期の創業とのこと。


(15)温泉神社【10:43】

(16)道標【10:52】

(17)庚申塔【10:58】
雑草が酷くて、うっかり見落としそうになる。


街道風景


(18)分岐点【11:12】


街道風景

(19)虚空蔵尊堂への参道階段【11:23】

(20)分岐点【11:25】

街道風景

(21)豊道春海(ぶんどうしゅんかい)翁生誕之地碑【11:29】
明治から昭和にかけての書家とのこと。

(22)道標&那須与一壁画【11:31】



(23)御菓子司小島屋【11:32】
創業 安政二年(1855年)とのこと。

街道風景

(24)井上本陣跡【11:35】 
本陣跡という表記はなく、村上英俊翁生誕之地碑がある。
村上英俊は松代藩医でフランス学者。江戸で医学、蘭学を修行後、フランス語を独習し、フランス学の創始者といわれる。「仏語明要」(ふつごめいよう)元治元年(1864)は彼が編纂した我が国最初の本格的な仏和辞典。

街道風景

(25)島崎酒造【11:39】
天明元年(1781年)創業の蔵元。既に廃業。
壁に書かれた「清酒:友白髪」を調べてみると、同名の清酒は、石川(吉田酒造、金谷酒造、友白髪酒造)と香川(鎌田酒造)にもあった。

(26)川越山無量寿院正浄寺【11:42】
鎌倉時代、健保2年(1214年)親鸞聖人が箒川の川端の孫八宅に一宿し、その際に阿弥陀如来像を授与され、その尊像を安置するために孫八が御堂を建立したのが起源とのこと。

(27)岩井橋【11:46】
箒川

(28)馬頭観音群【11:50】


街道風景

(29)養福院【11:58】

(30)長屋門【12:00】



(31)小祠【11:58】

街道風景

(32)小祠【12:18】

街道風景

(33)薬王寺【12:22】

(34)与一の里 名木赤松【12:22】



(35)石碑?【12:26】
詳細不明。

(36)蒲蘆碑(ほろのひ)&道標【12:29】





(37)町初碑(まちはじめのひ)【12:31】


街道風景



(38)馬頭観世音群【13:35】


(39)屋外彫刻【13:43】
「那須野が原 国際彫刻 シンポジウムin大田原2004」への出展作品。作品名:ゴールデンカット 作者名:ネナード ソスキッチ。


(40)あさかクリニック前バス停【13:45】

本日は予定通りここまで。休憩を含めた歩行時間は4時間25分だった。

今回出会ったマンホール蓋は以下。

栃木県那須塩原市(旧黒磯市)
(黒磯市は2005年に那須郡西那須野町、塩原町と新設合併し那須塩原市となった。)
旧黒磯市の「市の木」マツ のデザイン。マツは現那須塩原市の市の木にもなっている。

栃木県大田原市
弓の名手・那須与一が、大田原市で誕生・成長したと伝えられることから、馬に乗った那須与一が屋島の戦いで扇の的を射る様子が描かれている。

栃木県大田原市
大田原市イメージキャラクター「与一くん」のデザイン。
以上

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