旧結城街道4_岩瀬宿ー笠間宿

 ◆旧結城街道 岩瀬宿-笠間宿

2025年4月16日(水)、4月17日(木)晴れ

旧結城街道の岩瀬宿から笠間宿までを歩いた。日程上の都合から、二日に分けて歩いた。

(1)岩瀬駅 4月16日(水)【16:03】


(2)岩瀬駅前交差点【16:01】


(3)分岐点【15:54】
街道風景


(4)勝善神【15:24】

(5)四ツ榎稲荷神社【15:22】


(6)馬頭尊【15:21】


(7)馬頭尊?【15:19】

街道から見えた「磯部桜川公園」。桜が綺麗な公園とのことだが、残念ながら訪れるには少し時期が遅かった。


街道風景

(8)二所神社【15:04】


街道風景。立派な門だが、「売物件」の看板が。

街道風景

(9)仏塔仏像群【14:47】


(10)鴨神社社標【14:46】

(11)分岐点【14:38】
街道風景。しばらくの間、歩道らしき歩道がなく、あってもガードレールはなく、いささか歩くのが怖かった。

(12)小祠【14:32】
ここから十以上の新しいお地蔵さんが道の両端に並んでいた。




街道風景


(13)二十三夜塔【14:20】

(14)勝善神、地蔵尊、その他仏塔類【14:19】




(15)石燈籠【14:16】

(16)高架橋【14:14】

(17)福原駅【14:00】
駅横のトイレ。男女の表示が何やら象形文字のよう。よく見るとズボンとスカートか?

街道風景

(18)高架橋【13:53】

(19)源慶院【13:50】


(20)長屋門【13:49】

(21)関戸神社【13:45】
参道脇の仏塔類


(22)分岐点【13:42】


(23)かさま西シンボルモニュメント【13:39】



(24)地蔵仏【13:35】

(25)分岐点【13:30】

(26)稲田禅房西念寺(稲田御坊)【13:24】
石造りの橋は「聖橋」といい、いばらき100名橋に選ばれているそうで、この橋が西念寺の入り口となっている。


(27)分岐点【13:21】

(28)稲田神社参道【13:18】



(29)分岐点【13:16】

(30)石仏石塔群【13:15】



街道風景


(31)石切山脈碑【13:08】
「石切山脈」と呼ばれる山地一帯は、東西約10km、南北約 5km、地下1.5kmに及ぶ岩石帯で、明治32年から100年以上続く「稲田石」の日本最大級の採掘現場。


(32)稲田駅前交差点【13:06】

街道風景


(33)鍋島翁領徳碑【13:03】
明治期になり、近在各所から産出する石材輸送手段として、鉄道輸送の必要性が高まってきた。しかし、明治22年(1889年)に水戸鐵道が開通した時には、稲田駅は未だ存在しなかった。明治29年(1896年)鍋島彦七郎は、自身が出資して買収した約1550坪を日本鐵道に無償提供し、駅設置を促進させ、明治30年(1897年)に稲田駅がようやく開業した。

(34)稲田駅【4月16日 13:03】



(34)稲田駅【4月17日 15:00】

(32)稲田駅前交差点【15:03】
街道風景

(35)分岐点【15:05】

(36)地蔵菩薩像【15:09】
かなり小さくて新しいもの。

(37)分岐点【15:16】

街道風景。しばらくの間は未舗装の農道。

(38)分岐点【15:20】

(39)小祠【15:22】

(40)分岐点【15:23】
街道風景


(41)笠間神社の大鳥居【15:35】

(42)分岐点【15:37】

(43)分岐点【15:41】

街道風景

(44)石井神社【15:45】





(45)笠間稲荷神社御神饌田【15:57】
神饌田(しんせんでん)とは、神社などにおいて神様にお供えするために米を栽培する田のこと。

(46)笠間大橋【13:01】
結城街道は一旦ここで終了。

(47)笠間駅【13:30】



ここまでで終了。歩行時間は休憩も含めて4時間30分だった。

本日出会ったマンホール蓋は以下。

茨城県桜川市
桜川の奥に筑波山、そして市の木「サクラ」を描いた汚水用マンホール蓋。筑波山と桜川を下に配した市章が入っている。

茨城県笠間市
町の花「キク」を描いた「友部・笠間広域下水道組合」のカラーマンホール蓋。
以上

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