旧北陸街道8_高岡ー福岡
◆旧北陸街道_高岡-福岡
2025年7月18日(金)曇り時々晴れ
高岡から福岡までの区間を歩いた。
福岡(高岡市福岡町)という町名は、加賀国石川郡福岡村(現石川県河内村)の土豪結城七郎が当地内の大野に土着、のち結城氏の古屋敷地に町立てしたことに由来するとのこと。
(1)小祠【6:41】
街道風景
街道風景
昭和4(1929)年に谷道文房具店の自社ビルとして建てられたもの。しかし平成22(2010)年に同社は自己破産。その後空き家の状態が続いていたが、平成26(2014)年より地元有志による建物の再生プロジェクトがスタートし、平成29(2017)年秋には「山町ヴァレー」としてオープン。
名前の「ヴァレー」は谷道の「谷」に因み、同時に「シリコンバレー」の成功と活気にあやかりたいとの思いもこめられているという。
この建物の周囲には中庭を挟んで八つの蔵が配されているが、それぞれの蔵に様々なテナントが入っている。食堂もあれば飲み屋に近い飲食店もあり、シューズやウェアを置いている店、あるいは伝統的な高岡銅器を継承した工房の展示・販売している店もある。
街道(土蔵造りの町並み)風景。
(9)筏井(いかだい)家住宅【6:57】
筏井家は代々、糸などの卸商を営んでいた。明治33年の高岡大火に罹災し、同36年に現在の家屋が再建された。
(11)井波屋仏壇店【7:00】
明治38年(1905)建築。正面意匠は鋳物製の唐草模様で飾る大きなアーチ窓を置く独特なデザイン。
(13)赤レンガの銀行【7:07】
大正3年(1914年)、高岡共立銀行本店として建てられた。東京駅を模したとされる擬ルネッサンス様式のレンガ造りのこの建物は、現在も富山銀行本店として使用されている。
(14)鳳鳴橋(ほうめいばし)【7:13】
鳳鳴橋の名称は1935年(昭和10年)ごろに架けられた初代の木造橋に中国の詩経の一節から付けられた。現在の橋は1953年(昭和28年)5月に供用開始。歩道路面は竹の模様をあしらった鋳物板を組み込んだカラータイル舗装。1984年(昭和59年)には、高岡市政100周年を記念し両歩道中央テラスに、向かい合った一対の金色鳳凰像が設置された。
金屋町「千本格子の家並み」(重要伝統的建造物群保存地区)
(16)高岡市鋳物資料館【7:21】
(20)山元醸造【7:34】
安永元年(1772年)創業の味噌醤油の製造元。
(安永元年は十代将軍家治の時代。同年に「明和の江戸大火」が起こり、以降災害が相次いで、百姓一揆や打ちこわしが頻繁に起こった激動の時代。ちょうど現在放送されているNHK大河ドラマ「べらぼう」の蔦重が活躍していた時代でもある。)
街道風景(22)小祠【7:39】
街道風景
(27)勤王志士惜別之碑【8:12】
街道風景
街道風景
(40)永念寺【9:15】
街道風景
街道風景
(49)琴平宮【9:53】
(52)小祠【10:08】
市営福岡墓地前にある。
街道風景
約130年以前に島田邸付近に伝わったとされる雅楽を伝承する活動の拠点。明治11年には明治天皇が北陸巡幸の際、雅楽を演奏したとのこと。
(55)篠田茂三郎生家址【10:20】
(56)雅楽の館【10:22】
(56)雅楽の館【10:22】
高岡市福岡歴史民俗資料館雅楽資料展示分室
(58)福岡駅【10:26】
江戸時代末期より福岡町で継承されてきた、市指定無形文化財に指定されている雅楽の管楽器や打楽器などの楽器や装束を、1931(昭和6)年に建造された商家に展示している。
(57)分岐点【10:22】
ここで旧北陸街道は一旦終了。
<追記>
本日は朝6時40分頃から歩行を開始したが、それは猛暑日予報が出ていたので、午前中に街道歩きを終了させる為。 翌日確認したら、次の表のように、高岡市が全国で一位の最高気温を観測していた。多分、高岡が全国一位というのはそんなに何度もない事だとは思うが、たまたまそんな日に歩いていたことになる。
以上
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