旧北陸街道11ー1/2_森本-金沢ー松任
◆旧北陸街道_森本-金沢-松任(1/2)
2025年9月10日(水)曇り後豪雨
旧北陸街道の森本から松任までを歩く予定だったのだが、途中で突然の豪雨に見舞われて、やむを得ず街道歩きは中断した。今回は(1/2)ということで、中断した地点までの記録とする。
その後の区間は9月12日(金)に歩いたので、それは(2/2)として別に記録する。
(1)森本駅【8:08】
(2)高架橋【8:14】
(4)分岐点【8:19】
(7)島村家住宅主屋【8:42】
島村家は江戸時代に肝煎(庄屋)を務めた旧家。主屋は切妻造・桟瓦葺、妻入で、正面に庇が設けられていて、内外とも洗練された造形の近代民家住宅。国登録有形文化財。
(13) やちや酒造【9:16】
1583年(安土桃山時代)、創始者「神谷内屋 仁右衛門(かみやちや じんうえもん)」が、殿様専用の酒造りをするため、前田利家公のお供をして尾張の国から移住したのが、やちや酒造のはじまり。1628年(徳川家光の時代)、「谷内屋(やちや)」の屋号と、加賀の国の「加賀」とおめでたい「鶴」をつけた「加賀鶴」の酒銘を殿様より拝受したとのこと。
街道風景
(16)義経旧蹟鳴和瀧【9:23】
ここに記された滝(鳴和瀧)は、ここから300mほど離れた、鹿島神社の横にある。滝といっても小さなものだが、謡曲「安宅」に義経、弁慶が酒宴を開いた場として登場し、弁慶が「これなる山水の、落ちて巌に響くこそ、鳴るは瀧の水」と舞ったとされている。そこから「鳴和」という地名が付いたといわれている。
(22)米沢茶店【10:05】
創業 明治8年(1933年)。看板商品は加賀棒茶の「棒茶 加賀いり茶」。
街道風景
(24)金沢城惣構跡(東内惣構跡枯木橋詰遺構)【10:15】
(27)森忠商店【10:20】
創業は天保13年(1842年=12代将軍家慶の時代)。七代目から九代まで忠三郎と名乗り、森下屋忠三郎、略して森忠と称した。当初は漆を扱っていたが、時代とともに油脂や塗料等を扱うようになった。
(28)黒田香舗(黒田永一商店)【10:20】
創業は寛永3年(1626年=三代将軍家光の時代)で、加賀藩前田家に仕えたという老舗の商店。現在も沈香や伽羅などを用いた高級な線香やろうそくなどを販売している。
(29)尾張町 町民文化館【10:25】
明治時代に金沢貯蓄銀行(現在の北陸銀行)だった建物を活用した文化館。明治時代に建てられた数少ない貴重な和洋折衷の銀行建築として、昭和51年(1976)に石川県指定有形文化財に指定された。
(31)官許金澤青草辻近江町市場(かんきょ かなざわ あおくさつじ おうみちょういちば)石碑【10:30】
江戸時代、近江町市場は加賀藩御用達の市場だった。愛称は「おみちょ」。もともと青果を中心に取り扱っていた場所だったため、「官許金澤青草辻市場」という名称だった。
近江町という名前は、金沢を訪れた近江国(現在の滋賀県)の商人が定住して商いを始めたからという説が有力。
(33)高峰譲吉博士住居跡【10:43】
街道風景
(34)尾山神社【11:16】
(35)香林坊交差点のオブジェ【11:23】
郡 順治氏作「走れ!」。金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2004 最優秀賞。
この後すぐに突然の豪雨にみまわれたので、一旦ここを離れて退避した。
その約1時間後、何とか雨が止んだので、次項から改めて街道歩きを再開した。
(39)野町稲荷神社【12:56】
路面の道標
ここまで来て、再び雨が激しくなってきたので、本日はここまでで終了とした。
この後は、9月12日(金)に歩いたので、その時の記録は2/2として別途公開する。
以上
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