旧北陸街道14ー松任ー明峰
◆旧北陸街道_松任-明峰
2025年9月11日(木)曇
(1)石碑【7:54】詳細不明。大正二年との表記が読める。
前回の終了地点。ここから再スタート。
(2)地蔵菩薩半跏像【7:55】
「半跏(はんか)」とは仏像の座り方の一種で、片足だけを他方の太ももに乗せる、または片足だけを組んで座る姿勢。元は釈迦の悟りを開く前の思索の姿、つまり弥勒菩薩の表現として制作されたが、後に多くの地蔵菩薩像にも取り入れられたそうだ。
江戸時代、火災延焼から守る空間地だった。避難所としても利用され、まねきともいわれた。溜め池や休憩所である茶屋も設けられ、松と柳が植えられていた。裏面には「火除の松跡」との表記もある。
(6)おかりや【8:59】
街道風景
(13)「かたふく村」表示板【9:23】
(21)道標&一木小学校跡【9:47】
(23)宮丸歯痛止の地蔵さん【9:58】
(27)道の駅めぐみ白山【10:11】
(30)柏野小学校跡&街道地図【10:56】
(31)樽本神社【11:02】
駐輦とは「天子が車をとめる。 天子がご滞在になる」との意味。
(33)地下横断歩道【11:12】
(34)稱佛寺【11:41】
(35)味知郷(みちごう)神社【11:44】
(36)合流地点【11:48】
(37)武甕槌(たけみかづち)神社【11:54】
街道風景
(38)町名表示板【12:01】
街道風景。瓢箪が見られた。
(39)一里山跡【12:03】
街道風景
(40)町名表示板【12:16】
街道風景
(42)市境表示板【12:52】
(43)手取川橋【12:55】
(44)手取フィッシュランド【13:02】
(45)小祠【13:24】
(46)分岐点【13:27】
(48)静光寺【13:28】
街道風景
(49)迎巌寺【13:31】
(50)光明寺【13:32】
街道風景
(51)吉光の一里塚【13:42】
(52)吉光八幡神社【13:51】
(53)北陸街道復元工事碑【14:10】
街道風景
道標
(54)奥野天満宮【14:59】
(55)称佛寺【15:00】
(56)即得寺【15:02】
街道風景
(57)南天橋【15:04】
街道風景
(58)綿野吉二商店跡(現 寺井武道館)【15:08】
(59)高架橋【15:15】
(60)高堂遺跡(高堂道路公園)【15:19】
街道風景
街道風景
(41)明治天皇御休所公園【12:44】
明治天皇御駐輦(ごちゅうれん)記念碑
明治天皇が全国を巡った、いわゆる「六大巡幸」の内、石川県を含む東海北陸は3回目にあたる。明治11年(1878)10月2日に津幡・森本を経て金沢に入った明治天皇は、10月5日に金沢を発ち福井方面へ向かった。その際手取川を渡る前に、木呂場(ころば)の茶屋で休憩したが、その場所がこの「明治天皇御休所公園」として整備されている。
当時、手取川に橋は架かっておらず船で渡っていたが、天皇御巡幸のときは、船を数珠繋ぎに並べ、板を渡した上を駕籠で渡ったとのこと。
園内の「芭蕉の渡し」記念碑
(47)八木甚作先生之碑【13:27】
八木甚作は粟生町で生まれ、17歳から各地で画業の修行を重ね、明治6年(1873)に、地元で工房を開いた。「開匠軒」と号して、県下各地から子弟を集めて指導し、赤絵細画を得意とした名工だったそうだ。
(48)静光寺【13:28】
道標
街道風景
街道風景
(58)綿野吉二商店跡(現 寺井武道館)【15:08】
(61)分岐点【15:58】
旧北陸街道としては一旦ここで終了。
(62)明峰駅【16:00】
IRいしかわ鉄道(旧JR西日本の北陸本線)の無人駅。2019年の1日平均乗車人員は532人。
この区間で出会ったマンホール蓋を以下に示す。
石川県白山市
蓋一面に市の花アサガオが描かれている。中央に市章。(但し、下記マンホールは松任市の旧市章。白山市は2005年2月1日に旧松任市と石川郡の2町5村が新設合併して誕生した。)
石川県能美(のみ)市
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