旧北陸街道16ー粟津ー大聖寺
◆旧北陸街道_粟津-大聖寺
2025年10月8日(水)曇り
(4)粟津公園【8:23】
展示されている飛行機についてネットで調べると、
アメリカ合衆国のレシプロエンジン双発の軽飛行機「エアロコマンダー680 」で、67年前に生産された機体だった。
1958年に生産完成。中日新聞社にて「はやたか」として登録。
1981年に老朽廃機、抹消登録。
(6)分岐点【8:34】
ここから旧北陸街道歩きを再開。
(8)月津(つきづ)一里塚跡【8:50】
(13)矢田城跡【9:07】
(15)道標【9:24】
(18)橋本酒造【9:58】
宝暦10年(1760年)の創業の蔵元。大日盛(だいにちざかり)酒蔵資料館を併設。
(21)動橋(いぶりはし)駅【10:07】
IRいしかわ鉄道線の駅。かつては、加賀温泉郷への窓口として特急が停まっていたが、隣の加賀温泉駅が周辺温泉地の玄関口となったため、今は普通列車しか停車せず、2009年より無人駅になる。
駅名に含まれる「いぶり」は、揺する、ゆり動かす、の意味の方言で、揺れる橋が今の動橋川に架かっていたところに由来するとのこと。
(23)八田市一里塚&都もどり地蔵【10:40】
「都もどり地蔵」に関して調べると、以下の記載があった。
「平安時代末期の歌人西行法師が北陸巡錫中郷愁をおぼえ、都へ戻る際に、同行の弟子西住が西行と別れ、山中東谷奥村の西住に居住したといわれている。西住は師の面影をしのんで、別れの地八日市町に身代わり地蔵を建立したと伝えられる。加賀市で最も古い古典文学の伝承地として価値が高い。」
(24)架道橋【10:42】
(30)小祠【12:05】
(36)小祠&仏塔【12:43】
(38)紀功碑【12:49】
この紀功碑が、誰の(あるいは、どういった)業績の功績を記念したものか、後日調べたが不明。
(39)小祠【12:51】
比較的新しいもののようだ。
(42)敷地天神橋【12:58】
大聖寺川を渡っている。
この橋桁の上にバス停があった。次項に拡大したものを示す。
バス停に書かれたキャン・バス(CANBUS)は、加賀温泉駅を起点に加賀温泉郷を回る周遊バスのこと。
(43)大原神社【13:02】
(44)大聖寺高等学校正門【13:03】
街道風景
街道風景
(45)願成寺【13:35】
街道風景
(46)本善寺【13:41】
(47)慶徳寺【13:43】
街道風景
(49)深田久弥生誕の地【13:47】
(50)山下神社社標【13:52】
(52)大聖寺藩関所趾【13:56】
碑文が非常に読み辛いので、ネットで見つけたものを次に示す。
街道風景
(48) 大聖寺の時鐘堂(だいしょうじのじしょうどう)【13:45】
大聖寺藩2代藩主の前田利明によって、寛文7年(1667年)に初代の時鐘堂(鐘楼)が設置された。その後2度焼失し、現在の時鐘堂は2003年(平成15年)に再建されたもの。
(51)大聖寺鴻玉荘(だいしょうじこうぎょくそう)【13:54】
大同工業社長の元邸宅で、住居として使われていた主屋は、大正14年に建てられた『料亭高砂』を買い取り改装したもので、大聖寺地区が繊維産業で栄えた当時の料亭建築の中で現存する唯一の建物。平成25年、加賀市文化財に指定された。
碑文が非常に読み辛いので、ネットで見つけたものを次に示す。
旧北陸街道としては、一旦ここで終了。
ここまでの一日の歩行時間は、休憩を含めて5時間44分。
(53)大聖寺駅【14:11】
IRいしかわ鉄道線とハピラインふくい線が乗り入れている会社境界駅。小松駅が管理する無人駅で、2021年の1日平均乗車人員は729人。
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