旧下妻街道5_原口ー水海道
◆旧下妻街道_原口(茨城県坂東市辺田)-水海道
2026年4月17日(金)曇り時々晴れ
(1)原口バス停【12:58】
中山元成(なかやまもとなり)は、評判のよくなかった猿島茶「さしま茶」の味を向上させるために、京都宇治の製茶師を招き、茶園製茶法の改良に取り組み、お茶作りを復活させ、天保の大飢饉で困窮する農民を救った。さらに、1859(安政6)年の日米修好通商条約発効と同時に、全国の茶名産地に先駆けて下総国の名産「猿島茶」のアメリカ輸出を成功させた。茶顛(ちゃてん)とは「お茶狂い」という意味で、自分から名乗っていた。
(4)道標【11:03】
(5)分岐点【10:32】
(6)分岐点【10:30】
(9)忠魂碑【10:18】
(10)香取星神社【10:14】
(11)分岐点【10:07】
(12)二十一番大師【10:04】
(13)道標【10:02】
(14)?(「**「大神」というのしか読み取れない)【9:57】
(15)分岐点【9:53】
街道風景
(16)分岐点【9:50】
(17)分岐点【9:49】
(18)西光寺【9:46】
(19)二十三夜塔【9:43】
(20)大口の祠【9:41】
街道風景
街道風景
(21)きぬ総合公園【9:25】
(7)加波山大神【10:28】
加波山(かばさん)は、茨城県桜川市と同石岡市との境に位置する標高709mの山。
明治17年(1884)9月におこった「加波山事件」は,自由民権運動が過激化するなかで,明治政府の転覆をはかって武装蜂起した最初の事件。
(8)神大実(かみおおみ)郵便局【10:21】
この建物の外観は、(40)水海道駅を連想させる。
(12)二十一番大師【10:04】
(13)道標【10:02】
街道風景
街道風景
街道風景
街道風景
(28)分岐点【8:38】
(30)豊水橋【8:28】
(32)五木宗レンガ蔵【8:25】
物資輸送の中継基地として発展した水海道河岸は、幕末から明治にかけて隆盛を誇り、有力な問屋が軒を連ねた。五木田家は会津藩の廻米を扱うなど廻漕業を営んでいたが、当主は代々宗右衛門(または総右衛門)を名乗り、「五木宗(総)」と称していた。
明治15(1882)年建造と伝えられるレンガ蔵は、銅板葺、3階建で、床面積は各階18.324平方メートル、高さは10.751メートル。
街道風景
(34)二十一世紀の夢見台【8:18】
旧水海道市の歴史を紹介するモニュメントが設置されたポケットパーク(休憩スポット)
街道風景
(37)土井製麺店【8:14】
大正2年創業。土井商店として鉱石ラジオの販売を開始。その後(大正5年頃)、乾麺製造販売、精米、小麦粉・蕎麦粉・きな粉製粉等の販売に移行。
(38)旧岩見石版印刷所【8:13】
1917年(大正6年)創業。水海道を代表する「看板建築」の一つ。クラシックな雰囲気漂う建物の上部には、創業当時の右から左に書かれた「岩見石版印刷所」の文字が見られる。
「看板建築」とは、昭和初期の都市部で商店を建てる際に流行した建築様式のひとつで、
建物自体は木造町屋だが、その建物正面を銅板やモルタル、タイルなどで覆った造り。
(旧水戸街道を歩いた時に通った石岡市には、多くの看板建築が見られた。<旧水戸街道9_稲吉ー竹原の(17)>
(40)水海道(みつかいどう)駅【8:08】
水海道駅は関東鉄道常総線の駅。一日平均乗車人員は2,725人。(2022年)
「水海道」の由来については、柳田国男は御津垣内(みつかいど:水運の集散地)に由来するのではないかとしている。寛永年間には鬼怒川と利根川がつながり、水海道は江戸から下総・下野一帯を結ぶ河岸として栄えた。つまり、水海道は利根川水系の主要な河岸(船着場)だった。
今回出会ったマンホール蓋は以下。
茨城県坂東市(旧岩井市)
中央部に天高く飛び交う2羽の市の鳥ヒバリを配し、その周りを、古くから猿島茶として 栄えた事から、市の花であるお茶の花で囲んだデザイン
茨城県常総市(旧水海道市)
市の木:かし、市の花:さくらと、市の鳥:ウグイスをデザイン。
茨城県常総市(旧水海道市)
市の木である「実を付けたカシの枝」に、市の花「さくら」をバックに市の鳥「ウグイス」が一羽とまっているデザイン。**〖メインメニューに戻る〗
以上
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