旧甲州街道3_府中-日野(1/2)

 ◆旧甲州街道_府中-日野

2021年10月4日(月)晴れ

甲州街道の府中と日野間を歩いた。

(1/2と2/2の二回に分けて掲示する。)

行政区分としては、府中市、国立市、立川市、日野市の4つを横断することになる。

10:10に府中本町駅に到着。そこからスタート。



 (1)大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)【10:17】

府中とは、律令時代に武蔵国の国府(今の県庁)が置かれたことに由来し、大國魂神社の門前町として発展した。



(2)府中町道路元標【10:24】

大國魂神社の正面入口の脇にあった。大正9年に設置されたもの。


 (3)ケヤキ並木馬場寄進碑【10:25】


 


万葉の歌碑もあった。


 (4)神戸(ごうど)碑【10:28】

同様の形態の案内板がこのあといくつかあったが、いずれも書かれている文字が非常に読みづらくて残念。

ちなみに、神戸(ごうど)は、現在の府中市宮西町二丁目の旧甲州街道沿いの集落のこと。番場宿(項(7)参照)に属しており、この地に郡家(こほど、ぐんけ)があったことにより、それが転訛してゴウドとなった。というようなことが書かれてあった。

(5)高札場&道標【10:31】




(6)札ノ辻(ふだのつじ)、問屋場跡(中久本店)【10:32】


(7)番場宿&番場公園【10:34】

府中宿は府中三町「番場・本町・新宿(しんしゅく=古くは采女宿)」によって構成されていたが、その中の番場宿の記念碑。


(8)鹿島坂碑【10:36】

 (9)高安寺【10:41】

足利尊氏(1305-1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされているそうだ。




(10)片町碑【10:44】

番場宿に属している街道沿いの集落で、北側の片側だけが発達したことに由来。

(11)弁慶坂碑【10:45】


(12)弁慶橋標石&石橋供養塔【10:48】


(13)坊屋の坂【10:48】


非常に読みにくいが、「棒屋」と呼ばれる家があったため、そのように呼ばれるようになったということ。

(14)本陣門【10:56】

特に何の掲示もなかったが、府中宿矢島本陣の表門を移築したものだそうだ。

(15)常夜灯【11:03】


 (16)本宿碑【11:06】


(17)武蔵府中熊野神社古墳【11:08】

飛鳥時代の7世紀中頃に築造された古墳。

四角い墳丘(ふんきゅう)の上に丸い墳丘が重なった形の上円下方墳で、この形は全国的にも非常に希少な形。

石が葺ふかれている上円下方墳の中では最大規模であり、もっとも古いものとのこと。 

傍には「内藤道」の石碑もあった。


 (18)獅子宿碑【11:21】


(19)旧本田家住宅【11:21】

本田家は、代々地主・名主として、また地域に貢献する医者、文人書家として活躍。

また、新選組の土方歳三が本田家の親戚筋にあたり、近藤勇とともにこの家を度々訪れていたという。

この建物は江戸中期のものであり、東京都の民家としては最古クラスで、東京都指定有形文化財。

 

 

(20)常夜灯【11:23】

(21)関家かなどこ跡【11:25】


 (22)谷保天満宮【11:29】



(23)地蔵尊【12:06】

(24)潤澤学舎(じゅんたくがくしゃ)跡【12:08】


(25)馬頭観音【12:09】

(26)常夜灯【12:13】


(27)五智如来(ごちにょらい)【12:17】


(28)青柳地蔵堂&常夜灯【12:25】




近くに馬頭観音や石橋供養塔もあった。

この後は「旧甲州街道歩き_3 (2/2)」に続く。


 全体のメインメニューは

<https://sites.google.com/view/slowly-walker>






 


 

 

 

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