旧児玉往還6_用土-藤岡

◆旧児玉往還_用土-藤岡

2021年10月28日(木)晴れ

児玉往還の用土から藤岡間を歩いた。

 児玉往還+川越街道旧中山道の「板橋宿-高崎宿」間の脇街道

 

8:00に用土駅をスタート。



(1)庚申塔&石仏群【8:06】


(2)普門寺【8:17】

(3)石仏【8:30】

(4)庚申塔【8:30】

(5)道祖神【8:32】 

(6)雷電神社【8:33】 

(7)鎌倉街道道標【8:40】 

(8)庚申塔&道標【8:44】 

(9)庚申塔&石仏【8:46】 

一番右側はかなり損壊しているが、台座からは二十二夜待塔 。

街道風景 

(10)六道能化(ろくどうのうげ)地蔵尊道標【8:51】

六道能化は、六道の巷(ちまた) に現れて、衆生を教化し救う地蔵菩薩のこととのこと。

後日調べたら、延享2年(1745 年)に作られたもので、「西 八幡山・北 本庄・東 江戸・南 十二天 秩父」と記してあるそうだ。 

(11)庚申塔&石仏群【8:57】 





(12)庚申塔【9:00】

街道風景

(13)鎌倉街道道標【9:04】

(14)道祖神【9:07】

(15)史蹟曝井(さらしい)入口碑【9:08】 

今回は立ち寄らなかったが、曝井は、奈良時代、朝廷に差し出す布をさらした湧水で、万葉集にも詠まれているとのこと。 

(16)みか神社参道の常夜灯

みか神社はこの道でここより少し北に行ったところにある。

「みか」とは酒を造る大きな甕(かめ)のことで、以前は秋の例祭に新米で「どぶろく」を二瓶造り、神前に奉納して、その一つは翌年春の参拝者に分け与え、もう一つは秋の例祭のときに新調したものと交換していたという。 

(17)途中で偶然目にした史蹟発掘現場【9:19】

分かりにくいが、写真の下の方に何人かの人が屈んで発掘していたのが写っている。


 
(18)広木大町古墳群【9:22】

田んぼのど真ん中に説明板が立っている。


 

(19)道標?【9:24】

詳細不明。

(20)一里塚碑&石仏群【9:27】 

一里塚碑の反対側が「平成一里塚公園」となっていて、説明板もある。

小さな公園だがベンチもあった。が、現状は雑草が酷くて休憩は無理。 


一里塚公園の脇に聖徳太子と書かれた石塔もあった。

(21)赤城乳業の工場【9:30】

「ガリガリ君」の大きな看板が目立つ。

 

(22)小山川の横断部分【9:44】

児玉往還は小山川に突き当たる。

今まで街道が川に突き当たった場合は必ず近くの橋まで迂回していたが、今回は次の写真のように川底と思われるコンクリート部がむき出しになっていたので、歩いて渡れた。

堤防自体は低いが、そこからここに降りるのに階段等はなく、ちょっと手間取った。

よって、この部分が歩行横断のために設置されているようには思えなかったのだが、本当はどうなのだろう。後日調べたが詳細不明。

対岸の堤防。

ここは「こだま千本桜」として春には桜祭りが開催されるとのこと。 

(23)龍體稲荷神社【10:01】

街道風景 

(24)玉蓮寺【10:06】 

(25)東石清水八幡神社【10:06】 

 特に掲示はなかったが、富士塚のようだ。

(26)高札場跡【10:08】

(27)玉蔵寺【10:10】 

街道沿いの建物 

(28)長福寺【11:02】



(29)脇道への分岐点【11:20】

(30)道祖神【11:22】

 脇道との分岐点にあった。 

(31)南無庚菩薩?【11:28】

(32)お地蔵さん【11:30】

時節柄、赤マスクをしています。 

(33)丹荘村青年団八日市支部の石碑【11:35】 

街道筋の民家 

(34)瑞厳寺【11:40】

(35)石仏石塔群【12:16】

(36)道標【12:23】

(37)蛙の石像【12:25】

個人的に設置されたものか?

(38)阿保氏館跡【12:26】


(39)阿保神社【12:32】

(40)石仏石塔群【12:34】

(41)住吉大明神?の石碑【12:45】

(42)道標【13:17】

(43)祠【13:20】

詳細不明も、中には白蛇が鎮座していた。

(44)道祖神【13:28】

(45)増信寺【13:32】


(46)一丁目の道標【13:33】

(47)里程標【13:48】

(48)会遊亭【13:49】

大正時代の蔵を活用して開設された藤岡の情報発信施設で、観光案内所とカフェとおみやげ店がいっしょになっている施設。

(49)四丁目交差点【13:50】

本日は予定通りここまでで終了とし、この後、群馬藤岡駅から帰宅した。 

今回は途中に「鎌倉街道」の標識はあったが「児玉往還」としての道標はなく、ちょっと寂しい気持ちだった。

一般的な知名度が低いのは分かるが、「鎌倉街道」と呼ばれる街道は関東全域に分散していて、鎌倉方面に向かう多くの街道を総称するようなものでしかないので、やはり「川越・児玉往還」という地域独自の呼称を、もっとアピールして欲しいように思う。

今回の歩行時間は、休憩も含めて5時間50分だった。

 (50)群馬藤岡駅【13:55】

本日出会ったマンホールの蓋を以下に示す。


埼玉県美里町(みさとまち)

せせらぎでサワガニと戯れる子供をデザインしたもの。

藤岡市

 藤岡市の特産「藤岡瓦」の鬼板と市の花「フジ」。

 下部中央にカタカナのフの字を二つあわせ中に丘を表わした市章。

藤岡市

 古墳に並べられた人物埴輪や馬形埴輪、須恵器の甕(かめ)などを中央に配し、その周りを鬼瓦の数珠や雨雲のデザインで飾ったもの。

 群馬県内には、埴輪の産地として太田地域と藤岡地域の2地域があり、そのうち藤岡地域には、神流川流域の本郷埴輪窯址と鮎川流域の猿田埴輪窯跡の2地点があるとのこと。

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 以上

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