旧中山道12_軽井沢-御代田

◆旧中山道_軽井沢-御代田

2020年10月27日(火)晴れ 

旧中山道の歩き旅11日目。

軽井沢宿-沓掛宿-小田井宿と歩いた。


中山道を歩き始める前に、紅葉が真っ盛りの雲場池に行った。

(1)雲場池(くもばいけ)

朝早かったので、若干靄っていて、青空とのコントラストとまではいかなかったが、それでも紅葉は素晴らしかった。



(2)六本辻【7:32】

日本では珍しい環状交差点(ラウンドアバウト)。

ここから中山道歩きをスタート。

軽井沢町立東部小学校

ちょうど通学時間だったようで、何人かの生徒と出会ったが、みんな、ヘルメットをかぶって防犯ブザーを付け、そしてクマよけの鈴(!)をランドセルに付けていた。

街道筋の風景

(3)庚申塔等石仏群【7:51】


(4)馬頭観音【17:56】

(5)軽井沢道路元標【7:57】


(6)旧近衛文麿別荘(市村記念館)【8:05】

大正15年に近衛文麿が別荘として購入。

昭和7年に近衛と親交があった市村今朝蔵が購入し、その後、市村家の遺族より町に寄贈されたものだそうだ。



近衛文麿(このえふみまろ):平安時代から続く近衞家の第30代当主。

昭和初期に三度にわたり内閣総理大臣に任命された。

太平洋戦争中、吉田茂などと戦争の早期終結を唱えたが、太平洋戦争終結後、A級戦犯に指定され服毒自殺。


(7)一里塚跡【8:20】

(8)道標【8:34】

(9)長倉神社【8:35】



境内にあった相撲の土俵。

境内社(けいだいしゃ)が六つもあった。

境内社とは、神社の境内に本社とは別に祀られている社をいい、本社の管理を受け、多くは社格、氏子がなく建物も本殿だけのもの。

以下、順に示す。

1.西宮神社

2.稲荷神社 3.天満宮

4.五角神社

6.八坂神社


神社の前を通り過ぎた「ポニー」。朝のお散歩か?

(10)脇本陣 満寿屋清兵衛(旧旅館枡屋)【8:43】

入口にロープが張られていて、近くまで寄れなかった。

この辺りは沓掛宿の中心部なのだが、天明三年(1783)の浅間山の大噴火により壊滅的な被害を受け、さらに1951年の大火で町の殆どを焼失して、往時の様子を伝えるものは殆ど残っていないとのこと。

(11)十二屋商店【8:45】

今は文房具店。安政六年創業と書かれているが、昔は何の店だったかは後日調べたが不明。


(12)草津道道標【8:51】

草津道とは一般に北信州から草津温泉に通じる道のこと。

昔の交通網の資料を下記に示すが、その資料では沓掛宿から北上しているのは沓掛道となっている。

それをまっすぐに北上すると草津なので、それを指すものだろう。

街道筋の紅葉

(13)道祖神【8:52】

街道風景

(14)石碑?【9:02】

何の碑か不明。

(15)石仏群と二十三夜供養塔【9:04】

(16)馬頭観音【9:09】

(17)馬頭観音【9:10】

(18)石仏群【9:11】

街道の風景

なぜかこの季節にヒマワリの花が? 紅葉とのコントラストが不思議。


(19)馬頭観音【9:24】

(20)女街道入口【9:24】


(21)遠近宮(おちこちぐう)【9:28】







ほとんどの民家などの玄関先にあったもの。

今まで見たことがなかったので、後日確認したら、電子式の水道メータということだった。雪が積もっても見えるということか。

(22)黄壁布屋土屋佐右衛門家&高札場跡【9:31】




(23)道路元帳【9:32】


街道風景

あまり都会では見ない形の信号機だが、ちゃんとLEDだった。

(24)馬頭観音【9:37】

(25)馬頭観音【9:40】

(26)草津道分去れ道標【9:42】

国道18号からは少し入った細い道の角にあった。

「従是(これより)左上州くさ津道」と刻まれているそうだ。

(27)追分の一里塚【9:50】



(28)追分宿の道標【9:50】

写真では小さくて判りづらいが、国道18号の道標として「追分宿→」の表示がある。

(29)道標【9:54】

(30)天皇陛下御製碑&駐車場&常夜灯【9:55】




(31)追分公園【9:58】

(32)浅間神社【9:59】


(33)芭蕉の句碑【9:59】

(34)堀辰雄文学記念館&追分宿本陣門【10:08】

(35)追分コロニー【10:09】

入口に「柳屋市兵衛」と掲げられているが、後日調べたら古本屋さん。

柳屋市兵衛さんの流れを組む方がこの追分コロニーの建物の大家さんで、元は旅籠の柳屋だったとのこと。

向かいには脇本陣の油屋旅館があったそうだ。

昔の追分宿の建物を模して作られていて、漆喰や、ペイントしていない材木など天然の素材で作られているとのこと。

(36)本陣跡【10:12】

家の表札程度の大きさの表示なので、ちょっと見逃しそうになる。


(37)
追分宿高札場跡【10:12】


(38)
道標【10:13】

(39)浅間山道路第一指石【10:13】

浅間山の登り口の標識。

(40)消防団詰所【10:14】

旧中山道風の看板と建物になっている。

(41)諏訪神社鳥居【10:15】

(42)道標【10:16】

追分公民館前にあった。

(43)なかよし地蔵尊【10:16】

旧中山道とはまったく無関係なのだが、ちょっと気になるお地蔵さん。

泉洞寺の駐車場の街道沿いにあったのだが、後日調べたら、泉洞寺は「カーリング地蔵」など「変わり地蔵」で有名なのだとか。

なんで「カーリング地蔵」なのかと思ったら、御代田町(みよたまち)は北海道北見市と並びカーリングで知られているからだそうだ。

(44)枡形茶屋つがるや【10:19】


(45)
追分宿の分去れ【10:21】

分去れ(わかされ)とは、群馬から長野にかけての方言で、道が左右に分かれるところだそうだ。




(46)
道標【10:38】

(47)道標【10:41】

街道風景

(48)道標【10:46】

(49)御代田(みよた)観音像【10:47】

戦後に58軒が入植したが、食糧難や経済難、過酷な生活でこの世に生を受けられなかった子供達のために、水子地蔵と普賢菩薩を併せた観音堂を建立したとのこと。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)は「普く賢い者」の意味であり、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩。

(50)道標【10:52】

(51)道標【10:52】

街道から見える浅間山

(52)道標【10:57】

(53)道標【11:00】

(54)道標【11:06】

(55)御代田一里塚【11:11】



(56)
道標&地下道入口【11:15】


今回の街道歩きは予定通りここまでとした。

休憩を含めた歩行時間は3時間44分だった。


この後、御代田駅に向かう途中に次の公園があった。

(57)御代田交通記念館【11:16】

御代田町にはD51787が静態保存されている。

ここは国鉄時代には信越線の「御代田駅」だったところとのこと。


今回の三日間に出会ったマンホールの蓋を順に掲示する。

安中市

市の花「ウメ」と市の木「スギ」が描かれたもの。

軽井沢町

町の木「コブシ」と「サクラソウ」が周りにあり、中央には浅間山とシラカバ。

中央下に「か」を図案化した町章。



御代田町

中央は町の花のヤマユリをモチーフにし、その下に 浅間山の稜線と煙をやわらかい曲線でデザインしたもの。


以上

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