旧中山道10_磯部-横川
◆旧中山道_磯部-横川
2020年10月26日(月)晴れ
旧中山道の歩き旅9日目。
安中宿(磯部)-松井田宿-坂本宿(横川)と歩いた。
前回の終了地点、原市小前停留所からスタート。
(1) 原市小前停留所【8:38】
(2)道標【8:43】
(3)八本木旧立場茶屋【8:44】
この場所は安中宿と松井田宿の間で地形的には坂の上に位置し、さらに次項の地蔵堂の前でもあるので、休憩するのにちょうどいい場所だったようだ。
立場(たてば)とは、宿場町の間に設けられた休憩施設のことで、規模が大きくなると「間の宿」(あいのしゅく)と呼ばれる。
(4)八本木地蔵堂【8:44】
日本三地蔵の一つと言われているそうだ。
(5)道祖神【8:46】
(6)道標【8:50】
(7)道標【8:56】
(8)道祖神【8:59】
街道風景
(9)滑車を使った井戸【9:04】
民家の庭先にあったが、まだ現役で使われているようだ。
(10)道標【9:05】
(11)馬頭観音【9:05】
(12)日枝神社【9:07】
(13)自性寺【9:07】
境内にはかなりの古い仏像が並んでいた。
(14)道標&道祖神【9:11】
街角の風景
(15)道祖神【9:19】
(16)荒木流 山中秀次郎道場【9:21】
後述(18)にある山中貞輔氏の碑文によると、山中秀次郎氏は剣撃の師範だったそうだ。
(17)道標【9:23】
(18)道祖神&常夜燈&山中貞輔氏の碑【9:35】
(19)脇道への入口【9:40】
国道18号に出ないでこの脇道に入る。
(20)地下道【9:47】
国道18号の下を通る。
(21)道標?【9:48】
何が書いてあるのかまったく読めない。
(22)石仏石塔群【9:51】
(23)街道から見える妙義山【9:53】
(24)道標【9:57】
街道風景【10:00】
(25)庚申塔【10:04】
(26)道標【10:04】
(27)道標【10:09】
街道風景
(28)山城屋酒店【10:13】
小田原外郎(ういろう)の分家・陳道斎の店跡で、かつては旅人を相手に外郎を売る店が出されていたとのこと。
この向かい側に、金井本陣があったとのことだが、残念ながらその痕跡をとどめるものは何も無い。
(29)松井田町道路元標【10:14】
道路元標のある場所のかなり趣のある古い民家は、後日調べたら「畑中医院跡」だそうだ。
(30)松井田宿の休憩所?【10:16】
休憩所のように見えるが、かなり荒れ果てている。
(31)脇本陣跡【10:18】
(32)道標【10:20】
(33)松井田八幡宮【10:21】
街道風景
(34) 新堀金井家の建物【10:34】
松井田宿の金井本陣に繋がる新堀金井家の建物とのこと。
玄関に次のようなモニュメントが作られている。
(35)庚申塔【10:37】
(36)道標【10:38】
(37)松井田城址【10:39】
次項の補蛇寺(ふだじ)の敷地に掲げられた案内。
補蛇寺の寺域は松井田城の一部を占めている。
(38)補蛇寺(ふだじ)【10:39】
(39)道祖神【10:43】
(40)一里塚跡【10:44】
(41)道標【10:46】
(42)道標【10:47】
(43)道標【10:54】
(44)地蔵立像【10:58】
(45)道標【10:59】
(46)道標【11:10】
(47)庚申塔&二十三夜塔【11:16】
(48)茶屋本陣案内板&高札場跡【11:16】
(49)茶屋本陣跡【11:18】
(50)男女双体道祖神【11:22】
村の出入り口に置かれて、災いが中へ入って来ないようにするのが道祖神。
そのうち人々の繁栄を願う意味を込めて男女の姿が掘られるようになり、夫婦が仲よければ子供も生まれて村の繁栄にもつながる、ということで双体道祖神が作られるようになったそうだ。
(51)道標【11:23】
(52)石仏群【11:28】
後日調べたが詳細不明。
(53)茶釜石【11:29】
(54)道標【11:31】
(55)地蔵菩薩?【11:33】
地蔵菩薩のようにも見えるが、かなり崩れていて不明。
街道風景
(56)道標【11:39】
(57)馬頭観音【11:39】
(58)碓氷神社【11:45】
(59)庚申塔&二十三夜碑【11:46】
(60)百合若大臣(ゆりわかだいじん)の足跡石【11:58】
説明板の文字がかなり色褪せていて汚れも酷く、読み辛いので、ネットに掲載されていたものを次に示す。2017年のもの。
足跡石の傍の石塔群
(61)道標【11:59】
(62)下横川の交差点【12:04】
(63)道標【12:07】
(64)道標【12:13】
(65)峠の釜めし「おぎのや」【12:20】
(66)横川駅【12:20】
横川駅の待合室。
来るまで知らなかったのだが、10月9日(金)~12月31日(金)の期間、「鬼滅の刃×SLぐんま~無限列車大作戦~」と題したコラボイベントが開催されていた。
構内にあった、「アプト式模型」
かつて群馬県と長野県を結んでいたJR信越本線は、1997年10月1日の長野新幹線開通によって廃線となり、碓氷峠を境に、軽井沢・横川間が分断されている。
かつては急こう配の碓氷峠越えに、アプト式レールを使用していたのは有名で、小学校の教科書にも載っていたと思う。
本日は予定通りここまでとした。
休憩を含めた歩行時間は、合計3時間42分だった。
明日は、ここから軽井沢までの山中を歩く予定だったのだが、最近、毎日のようにクマ出没のニュースが流れていたので(軽井沢以外の場所ではあるが)念のため、この区間は別の時期に歩くことにして、明日は、軽井沢から先を歩く予定である。
以上
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