旧中山道8_高崎-磯部(1)
◆旧中山道_高崎-磯部
2020年10月25日(日)晴れ
旧中山道の歩き旅8日目。
高崎宿-板鼻宿-安中宿と歩いた。
2回に分けて掲載する。今回は「その1」。
前回の終了地点、高崎駅前あら町交差点からスタート。
(1) あら町交差点【10:53】
(2)田町絹市場【11:00】
(3)金澤屋【11:04】
天保7年(1836年)創業の寝具販売店。
初代・本木庄次郎氏が綿打ち商を始め、現在の社長は七代目とのこと。
当時、布団は買うものではなく家で作るものだったそうだ。
(4)蔵造り商家山田家(旧山源漆器店)【11:05】
(5)高崎神社【11:13】
(6)番所跡【11:16】
公民館の前。
(7)岡醤油醸造【11:18】
(8)山田文庫【11:20】
(9)街道風景【11:23】
(10)君が代橋親柱【11:28】
(11)萬日堂【11:37】
(12)下豊岡の石神社【11:42】
(13)道祖神【11:42】
(14)信州道分去れ道標【11:57】
「右はるなみち、くさつみち」と刻まれている。
(15)道標【12:03】
斜めになったままで放置されているのは、いささか悲しい。
(16)若宮八幡宮【12:07】
(17)神明社【12:10】
(18)庚申塔【12:12】
(19)上豊岡の茶屋本陣【12:13】
(20)湯沢のお地蔵様【12:14】
(21)街道風景【12:16】
羊が何頭も飼われていた。
(22)金ケ崎不動尊【12:18】
脇に道祖神もあった。
(23)上州櫓(やぐら)造りの民家【12:19】
当時の養蚕は家族が住む家の中で行われ、二階部分をそっくり養蚕室として使うのがごく一般的だった。
蚕は寒さを嫌うので暖房を要し、また空気の汚れも嫌うので、必然的に換気が必要となり、屋根の棟に小さな家のかたちをした換気塔が設えられるようになった。
それが上州櫓造りで、養蚕は農家にとって最大の換金産業だったので、こうした造りの家は多く見られるとのこと。
(24)馬頭観音碑【12:54】
周囲の植栽が繁茂しすぎていてさっぱり分からないが、後で調べたら馬頭観音像とのこと。
(25)浅間神社【12:58】
道路の向かい側の一里塚
(26)天照皇大神宮【13:03】
途中の店舗に飾られていた「あまびえ」の達磨
(27)道標【13:05】
(28)道祖神【13:10】
(29)八幡宮参道【13:11】
(30)街道風景【13:16】
(31)寒念仏橋供養塔【13:18】
(32)道標【13:25】
(33)双体道祖神【13:28】
(34)庚申塔・地蔵尊【13:29】
(35)道標【13:32】
(36)板鼻館【13:35】
(37)板鼻宿交差点【13:36】
(38)本陣跡【13:37】
(39) 八坂神社跡の双体道祖神と石碑【13:39】
(40)鷹巣神社入口碑【13:45】
(41) 板鼻町簡易水道碑【13:47】
給水人口が5,000人以下である水道事業を簡易水道事業というそうだ。
(42)諏訪神社【13:52】
(43)道標【13:55】
以降は「その2」に掲載する。
以上
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