旧児玉往還4_髙坂-奈良梨

 ◆旧児玉往還_高坂-奈良梨

2020年11月17日(火)晴れ

前日に続いて児玉往還を歩いた。

児玉往還+川越街道は中山道の脇街道) 



(1)高坂駅への交差点【7:03】

前日の終了地点から出発。

街道風景

(2)高坂館跡【7:09】


(3)高済寺【7:09】

1600年代の開山。高坂刑部(秩父氏の一族)の陣屋跡。


(4)道標【7:16】

(5)庚申塔&馬頭観音【7:19】

踏切

(6)道標【7:35】

街道風景

(7)祠【7:46】

街道からはだいぶ離れた場所にあったが、あぜ道を勝手に通るわけにもいかず、近寄れないので詳細不明。

(8)石仏群【7:49】

中央にあるのは安政六年(1859)の銘のある雨降山常夜燈。「雨降」はアフリと読み、阿夫利信仰を指す。

下記の写真の常夜燈の笠の上には天狗の像がある。


街道風景

歩道があるのはいいのだが、歩道の両側から草が伸びていて、いささか歩きにくい。

(9)道標【7:54】

道から1メートル程度離れた場所にあり、かなり小さいので見落としやすい。 


(10)国道への階段【8:00】

(11)石仏群【8:12】

(12)灯籠【8:14】

(13)阿夫利神社御神燈【8:27】

阿夫利神社は神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社。

大山を信仰とする大山講は江戸時代中期から後期にかけて最盛期を迎えるが、講の代参者が多く通る街道沿いでは、参拝する人たちの安全を祈願したり、道明かりとして、灯籠を建てたとのこと。

この灯籠や(8)項の灯籠は、その一つだと思われる。

(14)八幡神社鳥居【8:31】

(15)庚申塔【8:34】

(16)八幡神社【8:34】




(17)庚申塔【8:46】


(18)道標?【9:02】

(19)庚申塔?【9:10】

(20)菅谷実一尋常高等小学校跡【9:45】

ちなみに、尋常高等小学校とは、尋常小学校(6年制)と高等小学校(2年制)が一つにまとまっていた戦前の制度による学校。

街道筋の民家



(21)東昌寺【9:59】



(22)志賀観音堂の石仏群【10:19】





(23)庚申塔【10:22】

(24)道標【10:31】

(25)雨降山灯籠【10:35】

(8)項と同じように「雨降」は「アフリ」で、阿夫利信仰を指す。


(26)庚申塔と大黒天石碑【10:40】

大黒天はインドから伝わった破壊と豊穣の神だが、古くからの神道の神である大国主と習合して、豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として、食物・財福を司る神となった。

像容も、江戸時代になってから、米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表されるようになったとのこと。

このあたりの地域的な特徴だと思われるが、この後、(30)、(32)と、大黒天の像が続く。

(27)庚申塔と道標【10:44】

(28)庚申塔【10:51】

(29)石塔【10:52】

詳細不明。

(30)大黒天石碑【11:04】

(31)庚申塔【11:14】

(32)大黒天石塔【11:17】

(33)馬頭観世音【11:17】

作り直されたものか、かなり新しい像だ。

(34)八和田村道路元標【11:18】


(35)奈良梨の交差点【11:18】

本日は予定通りこの交差点までとした。

ここまでの、休憩を含めた歩行時間は4時間15分だった。

 

その後、近くの奈良梨のバス停(次の写真)で小川町まで移動する予定だが、出発時間まで少し時間があったので、近くの八和田神社を参拝した。

(36)八和田神社



本日出会ったマンホールの蓋を以下に示す。

 

嵐山町

大ムラサキやバッタ、ホタルの飛び交う自然環境の良好な嵐山町を イメージしたデザイン。

小川町

市野川流域下水道(滑川町、嵐山町、小川町対象)のもの。

県章と清流を泳ぐ魚や、森や鳥、蝶のデザイン。

小川町

周囲に町の木「ケヤキ」、内側に町の花「フクジュソウ」。内側下部に小川町の町章が入っている。

以上

 

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