旧甲州街道9_鳥沢-大月

◆旧甲州街道_野田尻-鳥沢

2022年4月20日(水)曇り

旧甲州街道の鳥沢と大月間を歩いた。


(1)鳥沢駅【9:00】

(2)鳥沢駅前交差点【9:01】

ここから旧甲州街道。

(3)旅籠叶屋跡【9:02】

建物自体は明治二十年のもの。


(4)問屋場跡【9:04】

 (5)明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)地碑【9:05】

(駐蹕=天子が行幸の途中一時乗り物をとめること。 また、一時その土地に滞在すること。)

一般的にはこうした碑がある場所が本陣跡なのだが、調べてみると、ここから少し街道を戻った「セブンイレブン大月鳥沢店」の場所を含む北側の一帯が、上鳥沢本陣跡だったらしい。

(6)分岐点(宮谷交差点)【9:49】

街道風景(民家の庭先)

(7)稲荷社【9:55】

(8)分岐点【9:56】

(9)分岐点【9:58】

かなり細い路地なので最初は通り過ぎてしまった。

路地の先は旧街道とはとても思えない空地になる。

(10)猿橋への分岐点&北都留郡役所跡【10:02】


(11)猿橋【10:03】

「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつ。









猿橋から趣のある古い鉄橋が見えたので撮影したのが次の写真。

後日調べたら、「八ツ沢発電所施設第一号水路橋」だそうだ。

八ツ沢発電所は桂川の水を利用した日本初の本格的な水力発電所で、着工は明治43年、営業開始は明治45年。

発電所で使用した水を有効に利用し、桂川左岸の支流の水を合流させるため、桂川を横断するかたちで水路が架けられた橋で、鉄筋コンクリート造単アーチ橋として橋長42.7mを誇る長大なものとのこと。

(12)猿橋宿表示【10:16】



(13)大月市郷土資料館【10:24】

(14)馬頭観世音【10:28】

(15)三嶋神社【10:37】


(16)青面金剛王庚申塔【10:40】

(17)阿弥陀寺【10:41】

(18)分岐点【10:43】

街道筋で見つけた動物病院

(19)庚申塔【10:49】


(20) 東京送電水力発祥地碑【10:52】

旧街道から東京電力駒橋発電所に下っていく脇道があった。そこには立ち入れないが、街道脇からそこに立てられている碑などが見える。それを撮ったのが以下の二枚。


後日調べたら、最初の写真の左側には、以下のような記述があるそうだ。

「東京電力(株)の前身である東京電燈株式会社(株)は、東京に水力の電気を送電しようと甲府桂川の駒橋に15,200kWの発電所を建設。明治四十年十二月二十日午後四時、待望の水力電気が55,000Vの送電電圧により開始。これが我が国初の水力発電長距離送電の草分けとなった。」

(21)駒橋宿道標【10:53】

後ろに見えるのが、前項の発電所に繋がる水圧鉄管。

道標に沿って脇道を上る。

上った先は桜並木だった。

(22)第五甲州街道踏切【10:57】


(23)石仏群【11:00】

(24)駒橋宿表示板&厄王大権現【11:05】

大月市は桃太郎の街と呼ばれている。その理由は旧甲州街道の宿場町「犬目」「鳥沢」「猿橋」の名前が由来。(逆に、桃太郎伝説にちなんで宿場名を決めたという話もある。)

「厄王大権現」は桃太郎と鬼が話し合いをした場所と言われているとのこと。

(25)常夜灯【11:07】

(26)旅籠橿屋(かしのや)跡【11:10】


(27)分岐点【11:14】

(28)大月駅【11:52】

駅周辺ではスーツ姿の男たちを何人も見た。この周辺の駅では珍しい。ひょっとしてリニア新幹線絡みのビジネスなのかな、とも思ったのだが・・・・?

(29)大月宿表示板【11:53】

街道筋の菓子屋

表看板には「電話(大月)592番」とある。なんだか昭和が舞台の撮影セットのようだ。



(30)富士山道追分道標【12:02】

(31)分岐点【12:04】

(32)下花咲宿表示板&石仏石塔群【12:15】


(33)一里塚跡【12:16】

上記の解説には「現在の塚は復元されたものです。」とあって、確かに2019年のストリートビューには木が映っている。が、今は何もない。

下の写真の中央右側の切り株がその復元された一里塚の木の跡か?

(34)星野本陣跡【12:23】





(35)道祖伸【12:31】

(36)二十三夜塔【12:38】

(37)尾曽後峠標識【12:42】

(38)三軒屋バス停【12:44】

今回は予定通りここまでとし、バスで大月駅に戻った。

休憩を含んだ歩行時間は3時間44分だった。


この後、大月駅裏の御太刀塚に立ち寄った。

(39)御太刀塚

昔この塚からその北にかけて幾つかの古墳や墓碑があったが、昭和初期、興和産業の工場創設の造成によってそれらが破壊され多くの遺物が掘出されたという。その中でも両刃の直刀一振が注目された。その太刀は扇橋詰めの祠に祀っていたが、後にこの塚を建てて祀ったそうだ。

 

本日出会ったマンホールの蓋は以下。

山梨県

桂川流域下水道の蓋。右上から時計回りに「富士吉田市」「西桂町」「都留市」「大月市」「上野原町(現・上野原市)」の市章・町章が並んでいる。

中央は山梨県章。中のマークは3つの人文字により山梨の山を形どることで、和と協力を表現しているそうだ。

大月市

中央に「猿橋」、遠景には「富士山」、清流にアユを描き、色を添えるように市の花「ヤマユリ」と市の木「ヤエザクラ」がデザインされている。

 

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以上

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