旧東海道3_大森-川崎

◆旧東海道_大森-川崎

2022年5月12日(木)曇り

旧東海道の日本橋から箱根間は、2012年から2013年にかけて歩いたのだが、その時にはまだ旧街道を本格的に歩くつもりはなかったので、写真もあまり撮っていなかった。すでに十年が経ったので、改めて歩き直すことにした。

本日は大森(京急大森町駅)から川崎間を歩いた。 

(1)大森町駅

(2)大森町駅前交差点【9:46】

(3)貴舩神社【9:54】

(4)大田区総合体育館【10:00】

屋上に樹木が植えられていた。

(5) 聖跡蒲田梅屋敷公園(せいせきかまたうめやしきこうえん)【10:01】

前項の体育館の向かい側。

江戸時代に薬屋を営んでいた山本久三郎が、文政年間に梅を始めとする多くの木を植え、茶屋を開いたことが起源とされる。1868年から1897年にかけて明治天皇の9度の行幸がある。





広重「名所江戸百景」に描かれた「蒲田の梅園」がネット上にあったので以下に示す。

(6)蒲田橋親柱【10:13】




(7)映画発祥の地の碑

「松竹キネマ」の蒲田撮影所跡


非常に読み辛いので、ネットにあった画像を以下に示す。

(8)六郷用水物語の説明板【10:40】


(9)熊野神社【10:48】



(10)六郷用水物語の説明板【11:16】

(11)六郷神社【11:20】











(12)東海道跡碑【11:24】

(13)分岐点【11:25】

国道に並行している脇道に入る。

(14)六郷一里塚跡?【11:26】

このあたりに一里塚があったらしいが、何も掲示されていないので詳細不明。

街道風景

(15)旧東海道跡碑【11:27】

(16)六郷橋・橋門と親柱【11:32】


(17)六郷渡し跡【11:35】

掲示板が掲げられているだけ。

(18)北野天神【11:36】

 八代将軍吉宗の乗馬が暴走した時、落馬を止めた神社として有名になったので、通称を「止め神社」と言う。災いを止める祈りをするため多くの参拝を集めたという。

 当時は現在の数倍の規模があったのではないかと言われている。







(19)六郷橋【11:39】


(20) 明治天皇六郷渡御碑&長十郎梨のふるさと掲示板【11:45】




(21)道標【11:46】

(22)万年横丁・大師道道標【11:47】

ここは東海道から川崎大師へ向かう大師道への分岐点となっていた。

次項(23)に記された「万年屋」には、川崎大師へ向かう多くの参拝者たちが立ち寄ったため、ここから医王寺までの大師道は「万年横丁」とも呼ばれた。

(23)万年屋跡の掲示板【11:48】

掲示板にも記されているように、万年屋は「奈良茶飯」で評判になり、宿場一の茶屋となって宿泊も行うようになった。江戸時代後期には大名も昼時に立ち寄るほどで、やがて本陣をもしのぐようになったとのこと。


道の反対側にあった旧東海道碑。この後しばらく同様の碑が続く。

(24)旧東海道碑&新宿説明板【11:50】



旧東海道碑

旧東海道碑


(25)田中本陣跡【11:55】


街道風景

(26)宝暦大火の説明板【11:57】



(27)東海道川崎宿の交差点【11:57】

旧東海道の碑


(28)一行寺の表示板【11:59】


(29)かわさき宿交流館【11:59】

(30)宗三寺碑&説明板【12:00】


浮世絵ペイント

(31)丸形郵便ポスト【12:01】


(32)旧東海道碑&問屋場跡【12:02】



(33)砂子一丁目交差点【12:03】

本日は予定通りここまでとした。

休憩を含めた歩行時間は、2時間17分だった。

今回はほとんど国道15号線を歩いたこともあり、郊外の旧街道を歩くときには毎回よく道端で見かける、道祖神、馬頭観音、庚申塔などにはまったく出会わなかった。また古い家屋にもお目にかからなかった。そういう意味では、いささか旧街道歩きというには風情がなかったのは事実。次回以降に期待したい。


本日出会ったマンホールの蓋は下記のみ。

川崎市

中央に市の花「ツツジ」があり、その周囲を七個の市の木「ツバキ」が囲んでいる。


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以上


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